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もう、昨年の話だし、今頃、こんなことを書いてもしょうがないが、
2009年の日本の格闘技界で、最も残念だったことの一つが、
バーリトゥードジャパンの中途半端な復活だった。
修斗公式戦でなく、VTJとして開催しないといけない理由が、
実は存在したのかもしれないが、その理由が明らかになっていないのだから、
「何のためのVTJ?」という部分で、必然性が感じられない復活劇だった。
94年から99年まで開催されてきたVTJとは、日本と世界の総合格闘技の差を確認、
その差を埋めるために何が必要かを知るための--を物差的な大会だった。
ヒクソン・グレイシーの来日とともに、
パウンドとポジショニングを知った。
打倒ブラジルへの道標として、米国、ロシア、豪州勢と戦い、
日本最弱という屈辱的な現状を知った。
修斗公式戦の充実により、99年ブラジルとの対抗戦に勝利し、
VTJはその役割を果たし、封印されることになった。
もう11年も昔の話だ。
その後、日本の総合格闘技はPRIDEに引っ張られ全盛期を迎え
打倒ブラジルだとか、世界との距離という言葉は意味をなくし、
軽量級は世界最強の座を掴んだかのような状況にあった。
2009年、MMAの中心は完全に北米に移り、
世界--という言葉は、海の向こうで勝利することを意味するようになっていた。
再び生まれてしまった、世界との差。
この差を埋めるために、かつて技術的に世界一と評価された修斗が動き始めた……、
と「日本最弱」当時を知っている人間は、期待せずにはいられなかったのだ。
あの時点でのVTJの復活、VTJが本来持つ意味からすれば、
北米MMAとの差を確認、距離を埋めるために
金網の使用と、ヒジ打ちの解禁は当然あるものと理解していた。
日本の総合格闘技と北米MMAは別モノ--、そういう意見があってもいいし、
誰はばかることなく、発言する者がいても良いだろう。
ただし、修斗とは、そういう発言をすると同時に、
その戦いのなかに飛び込む、
あるいは自ら動きを取り入れる格闘運動体だったはずだ。
レスリング全盛、ゲームメイキングのMMAに勝つために、
レスリングとゲームメイキングを理解し、同じ手段で強くなる、
あるいは別の方法論を用いて強くなる--。いずれの選択があっても、
その戦いに正面を向いて、挑むのがVTJの役割で、
強さを追及することで、格闘技を普及していったのが斗いを修めることだったはず。
VTJ09の大会には、マモルの試合が組まれていた。
せめて、彼の試合は公式戦でなく、VTJヒジ有りルール、ケージが無理でも、
リング上で彼にヒジ打ちを解禁した試合を戦わせてやりたかった。
かつて中井祐樹に柔術マッチの場を与えたように、
修斗世界二冠王のベテラン選手に、
それぐらいのご褒美をあげても良かったのではないだろうか?
具志堅用高ばりのアフロに、「ちょっちゅね」がトレードマークになったマモル、
1999年7月のプロ修斗デビュー当時は、
短髪、ピアスに豹柄、そしてレザーと、とんがったパンク的なイメージが強かった。
ファイトスタイルも「打撃よりも、寝技が好き」と公言しており、
その寝技もパウンドを全面に押し出していたイメージが強い。
デビュー戦で、現プロ修斗世界フェザー級王者--プロ2戦目だった勝村周一朗を破り、
2戦目では当時王座が制定されていなかった修斗フェザー級一番の実力差と目されていた
秋本じん、一世代上のシューターを早くも打ち破った。
3戦目で国際戦、下北大会ながらメインの大役を果たした。
そして、VTJ99が行なわれた4日前にハワイはブレイズデール・アリーナで
鳴り物入りで総合デビューを果たしたばかりのハワイ・グラップリング界期待の星
バレット・ヨシダと対戦した。
中・高と柔道部に所属していたが、これといった実績を残していないマモル。
世界に挑む立場にあった修斗のなかで成長した彼のこの試合、
下馬評は圧倒的にバレット有利という声で占められていた。
案の定、初回からバックマウントを許したマモルは、
バレットのチョークの前で、「これまで」というシーンを何度も見せたが、
この猛攻をしのいで、逆転パウンドでTKO勝ちという大金星を挙げることとなった。
世は空前の修斗ブーム、VTJ99の盛り上がりに
このマモルの勝利は、すぐにかき消されてしまったが、
あの完全アウェイの地で、絶対的な危機を乗り越えた22歳の若者に、
とてつもない未来の姿を見たように思ったことを記憶している。
ハワイの地で見た、彼の未来像は、半ば実現に至ったかもしれない。
デビュー1年5カ月で、修斗フェザー級初代王者に輝き、初防衛戦に失敗も、
バンタム級に転向を果たすと、ここでも初代バンタム級世界王座に就いた。
ただし、悲しいかな軽量級では世界でトップレベルの層を誇る修斗にあっても、
ビッグプロモーションが持たない階級ゆえ、
マモルと彼の試合が世間に届くことはなかった。
そして、彼自身、そのことを十分理解しているのか、
立場上、スッキリとした勝利を望まれてなお、自分のスタイルを貫き、
いつの間にやら「寝技が好き」と言っていたデビュー当時とは、
まるで正反対の立って戦うシューターとして、完成度を高めていった。
東京農大でレスリング部に通い、
タイへムエタイ修行に出かけ、現地で試合にも出場している。
修斗バンタム級のなかで、日本人を相手にしても、フィジカルで
優れているとはいえないマモルが目指したのは、腕力を必要としない組みだった。
ムエタイのアップライトは、テイクダウンに弱い--、
下半身への組みを許していない首相撲は、総合ではフィットしない。
これは当時の総合格闘技界の常識として、捉えられていた総意だ。
しかし、マモルは、ムエタイが持つ組みの総合への応用力を軸に、
体捌きや、その先端部分というヒザ蹴りを武器に、
彼のいうところの「シュール」な技術体系を積み重ねた。
結果、倒されないで勝つ、
打ち合わないで勝つ--というスタイルを構築した。
ムエタイの組み技を理解するうえで、
レスリングを知ることが非常に大きな役割を果たしていることはいうまでもない。
2000年に早くもムエタイに興味を抱いていた彼の先見の明と違い、
自分が、そのマモルの試合から、ムエタイの有効性を
ハッキリと感じとれるようになったのは、08年2月の正城ユウキ戦からだった。
コーナーでの体捌きを試合後の会見で尋ねると、
彼の眼が輝いた。
「遅い。今頃、気付いたの?」とでも言いたげ表情ながら、
会見が終わっても、新宿FACEの通路でマモルのムエタイ・グラップリング講座は続いた。
「足をかけずに、相手だけを転がす」魅力を、マモルに教えられた。
そして、ムエタイの腰の使い方、スネの使い方、脇の差し方が、
柔術やグラップリングと、素晴らしく共通点があることを知ることができた。
同時に、ムエタイ流の体捌きとヒザ蹴りでなく、
ヒジを使いたいという、強烈なマモルの気持ちも伝わってきた。
33歳、会えば自分と彼の会話は、下ネタのオンパレードだ。
10年年長の自分も全くもってダメだが、マモルの会話もかなり残念な部類に入るだろう。
結婚し、当然、引退後を考える年齢になった。
初めて会ってから11年、だらしない会話をしていてなお、
要所、要所で顔を覗かせる礼儀正しさ。
と、格闘技に対する真っすぐでひた向きな、強くなろうとする想いに一切代わりはない。
今年の1月にKOTC沖縄大会で、スーパーフライ級世界王座を獲得したマモルは、
8月5日、カリフォルニア州ハイランドで行なわれたKOTCで、
またもバックを奪われ、危機的状況に陥りながら、
体重超過のグレッグ・グスマンをヒジの連打で破った。
寝技でのヒジで試合を決めた彼は
「パンチよりも、確実に当てることができる」と、ニンマリ。
筆おろしならぬ、ヒジ下ろしを海外で体験し、いよいよその経験に幅が広がったといえる。
日本で最も完成度の高い、立ち技MMAファイター=マモル。
体力のなさ、フィジカルの劣勢を理解したうえで、
ムエタイを駆使する彼のスタイルは、ランバー・ソムデートM16と対極をなしている。
レスリングを知り、ポイントゲームを知る--
柔なムエタイで、MMAで勝つ。それがマモルの今もとんがり続けている攻めの姿勢だ。
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