【最新号】Fight&Life vol.15
今はほとんど使われていないような錆びた引き込み線。
ロンドン・ユーストン駅からリバプールまで2時間余りの列車の旅。
その途中、ヴァージン・エキスプレスの車窓から、
小さな恋のメロディのラストシーンを思い出させるような風景を見て、
改めて、「あぁ、イギリスだ」と心の中で呟いていた。
バルセロナで行なわれたアブダビコンバットを終え翌日、
ロンドン経由チケットの利点を生かし、
ちょっとした道草気分で、紳士の国を3年振りに訪れた。
どこか“くたびれた”風景――、この寂れ方、ここがイギリスの最大の良さだ。
(きっと)50年、100年、あるいは200年も変わっていないかもしれない風景たち。
所狭しと並ぶ二階建てのレンガ作りの住宅、小川の上を走る用水路。
ローマの遺産や日本の古い寺院などとは違い、名所でもなんでもないが、
人の息がかかった、生活が感じられる古い建造物たちは、
この国の持つ奥深さを感じさせてくれる。
人間の営み、その積み重ねを感じるがゆえに、知人がいない街でも落ち着く。
はずだったのに、リバプールではライムストリート駅を一歩出て、
「ここはどこ?」状態に陥ってしまった。
宿のレセプション、本家テスコの店員、
あるいは道を尋ねるために話しかけた会社帰りのサラリーマン風の人たち、
彼らの話す言葉が、理解できない。
もちろん英語だ。だから、ところどころ聞き取れるけど、
なんだろうか、このパフパフした言葉は――、
スカンジナビア系言語やアラビックにも聞こえる。
もともと米国英語に慣れていて、英国英語が苦手な自分だが、
そのブリティッシュ・イングリッシュの使い手たちが、
「何を言っているのか、分からない」と指摘する彼らの言葉は、
自分にはまさに未知の領域だった。
よくもまぁ、こんな酷い訛りのある街から、ビートルズが生まれたもんだと
心底思った。
解散して39年と半年――、世界中で受け入れられている数々の名曲。
キャヴァーン・クラブのあるマチュー・ストリートで、
ビートルズ関連のグッズを売る店の人の言葉はまるで分からないというのに、
彼らの歌は、今もスタンダード・ナンバー、何度聞いても、飽きることがない。
道を外れかけた頃や、高校のバスケットボール部仲間と夜を徹して飲み明かした時、
昭和天皇崩御で、お悔やみの中継一色だった大学の後期試験中、
成人し社会人になってからも――、結婚、子供ができ、
気がつけば40歳をとうに超した今も、いつになっても、色あせることのない奏。
特別意識していなくても、流行など関係ない、彼らの音楽は身の回りにある。
それがビートルズの音楽だ。
こじつけっぽくて申し訳ないが、ビートルズのようなスタンダードが、
今年のADCCにはなかった。
何かが欠けている、何か足りない――、
そんな想いを持ち続けていたバルセロナの2日間。
世界最高峰の組技の祭典だ。目の前の攻防は、常に世界の最先端をいく。
ハファエル・メンデスが見せた足に絡んでからのリバーサル、
あるいはバックに回るという動きは、今後のサブミッションレスリング、
ノーギ・グラップリングの技術対系を根底から変えてしまうかもしれない。
そのハファの猛攻に耐え続けたコブリーニャ。
気持ちは音をあげることはなかったが、ヒザの状態は果たしてどうなのか。
あのヒザの可動範囲は、常識を超えている。
つまり、無理をしすぎている。そんな風に感じられた。
護身やバーリトゥードを意識した柔術と、
ハファがアブダビで見せたフィニッシュに至るまでの流れは、接点がないように思える。
アブダビで勝つための試合の組み立て、ルールに適合した技を出し続けたハファ。
決勝もそうだが、何よりも印象に残ったのは、
準決勝でレオナルド・ヴィエイラから一本を奪った試合だった。
テイクダウン狙いは、アナコンダで切り返し、
足に絡んで、レオジーニョが背を向けたところでバックを奪いにいく。
倒して、足を抜いて、抑えてから極めるという組み立ては一切見られない。
そんなハファに、レオジーニョが成す術なく敗れた。
最大激戦区の66?級を制したハファ、その偉業に最大限の賛辞を送る一方で、
この階級にグレイシーがいればどうなるのか、ふとそんな風に思ってしまう。
そう、グレイシーが欠けていた。
77?級にクロンとグレゴゥが参戦していたが、
ホジャー・グレイシーがいなかった。
今回のアブダビに絶対的な何かが欠けていると感じていたが、
それこそ絶対的な存在、ホジャーの不在だった。
クロンやグレゴゥの技術は確かだ。
でなければ、クロンはマルセリーニョと互角の攻防はできないし、
グレゴゥも中村K太郎から10点も奪うことはできない。
グレゴゥは、今は亡きホーウスの奥方が、彼の死後に生を授かったので、
グレイシーの血は流れていない。
それでも一族の中で育ち、DNAより確かな技術を譲り受けている。
グレゴゥがセコンドについたとき、
ほんの少しの修正を指示しただけで、アドバイスを受けた選手の動きは
グンと安定感が増していた。
ほんの少しの修正――、それはハファが見せた技術とは全くの異質のものだ。
それでいて、グレゴゥが優勝という結果を残せなかったのは、
自分の持つ技術を適切なタイミングで使いきることができなかったからだろう。
彼やクロンと、ホジャーの違いだ。
ホジャーは、ハファの新しさとは対局にある、誰もが知っている技術を使い、
当たり前のようにポイントをリードし、最終的に一本に結び付ける。
相手の動きに対応するという側面において、
ホジャーはホイス・グレイシーやヒクソン・グレイシーが活躍した時代よりも、
ずっとずっと知識が増えているに違いない。
しかし、彼が勝利する術はホイスやヒクソンの技術と変わりない。
これこそ、組技のワールド・スタンダードといえるだろう。
いつになっても、色あせない人を倒す術。
そのホジャー本人によると、次の試合は11月20日のストライクフォースだという。
MMAで、彼の持つ普遍的な技術が、成果を挙げることができるのか。
殴られて終わり――。そんな思いと同時に、
ひょっとしてヒョードルを極めることもできてしまうのでは?――という期待もある。
自分は格闘技に幻想などというマヤカシを持ち込むことは、本当に嫌いだ。
だいたい、伝統派武道の技術を用いたり、
小が大を制するかもしれない構図を持ち込むことで、
それらを格闘技の幻想とするなんて、強引すぎるし、見たいのは白日夢なの?って感じだ。
格闘技の試合では、目の前の勝負、
要は現実を楽しむほうが、夢を見るよりも、ずっと簡単だと思っている。
そんな自分なのに、ホジャーのMMAには、幻想に似た期待がある。
この道を開いたグレイシーの血と、本職である柔術での強さ。
2つの現実があって、初めて幻想を生むことができる。
こんな風にMMAファイターを見るのは、ヒクソン以来のことだ。
ヒクソンは、戦わず、幻想のままで、見事なエンディングを迎えた。
あたかも小さな恋のメロディでマーク・レスターとトレイシー・ハイドが、
ひなびた線路をトロッコで疾走したような、ハッピーエンドだった。
どう考えても、すぐにトロッコは大人たちに追いつかれ、
あるいは待ち伏せされ、2人は引き裂かれるに決まっているのに――、
その直前でストーリーを終わらせ、無理やりハッピーエンドにした夢物語。
――幻想だ。
ホジャーはMMAに挑み続けることで、幻想でない現実を我々に見せることになる。
柔術やノーギ・グラップリングでは、スタンダードなホジャーの技術、試合スタイルは
現在のMMAでは異質、さらに言えばスタンダードには成りえない。
ノーギとも柔術とも違うグラップリング技術対系が出来上がりつつあるMMAで、
歴史と伝統を背負った彼が、どのように戦うのか、
片目を瞑りたくもなるが、やはり(とても)楽しみだ。
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