【最新号】Fight&Life vol.11

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「こんなものでしょ」。
「さいたま向きじゃないね」。
「前田(吉朗)が勝ちなら、山本(篤)の勝ち」。
「一定のボルテージで、爆発的な盛り上がりがなかったな」、
「でも、ブーイングもなかったよ」。
「デイヴィッド・ガードナーには笑えた――」。
昨夜、DREAM終了後にメディアルームやインタビュースペース、
あるいは帰路につく電車のなかで、聞かれた記者仲間のDREAMの印象だ。
その場でも、いや、大会開催中にも色々と考えさせられたが、
一晩経つと――、ちょっと違う角度からモノゴトを見ることもできるような気がする。
決して深く考えるわけじゃく、浅い考えだけど、
フェザー級GPが面白くないように映ったのは、試合内容のせいでないということ。
もっとも、自分は生観戦するには、十分に楽しめる試合だった。
それが、世間に伝わらなかったのなら、何か面白いかを少しでも説いていきたい。
このような気持ちは、自分のなかではUFCを見たり、
WECやストライクフォースを見ても起こらない。
北米の大会を見て、深く考えるのは、やはり日本の格闘技を顧みてのことだ。
UFCの将来や、北米MMAの未来に対して、自分らは傍観者。
よそ様の国のことで、アルファベット文化で育った人々の世界のこと、
東洋の島国の人間がどうこう案じる問題でない。ただ、希望的観測を持つのみ。
そして、彼らの将来が、どのように日本の格闘技界、格闘家に影響を与えるのか――。
結局のところ、自分は日本の格闘技界の住民だから。
DREAMの前にPPVオンデマンドでUFC96を視聴した。
ラインナップからして、谷間の大会。
番狂わせもあったし、どうなるか分からないメインでランペイジが
スタイルを変えて勝利した。
そんな大会だったが、自分の琴線に触れたのは、
グレイ・メイナード×ジム・ミラー戦ぐらいだった。
一方、DREAMは琴線に触れるのとは別に、色々と考えさせられた。
ああいう大会の雰囲気は、今の日本の総合格闘技ならでは――。
自分のなかで、フェザー級GPに凡戦はなかった。
敢えて順序をつけるなら、
ベストバウトはビビアーノ×大塚。
あとは前田×ミラー戦が興味深く、
カラムのファイトは引っかかるものがあったけど、
それ以前にウィッキーに問題があると感じた。
悪い試合があったとは思わない。
自分のMMAを見るベースは、今は北米に移ったMMAにある。
どうすれば、あの場で勝てるのか。
だから、
ビビアーノと大塚の打撃をこなし、テイクダウンの防御があり、パウンドがあった
彼らの試合は、世界に迫るレベルとして、見ていても楽しかった。
さらにいえば、
その先をいくようなビビアーノのポジショニング+パウンドには惚れぼれした。
大塚に日本人に勝つために自分が必要だと思っている技術、
抑えの力が備わっていれば、勝負はどうなったか分からない。
いや、ビビアーノが最強のガードワークを披露したかもしれない。
こういうタラ・レバを考えることも、格闘技の楽しみ方だと思うし、
オープニングファイトは、色々と創造が膨らむ試合だった(※あくまでも自分的には)。
MMAファイターとして、完成度が最も高いと感じたのは前田。
勝つために武器が整っているのが、ビビアーノと高谷。
自分のMMAがあるのが、今成。
ウォーレンは、分からない――。
北米MMA、バンタム級のレベルがまだ、掴めていないなかで、
チェイス・ビービの実力も分からない。
ウォーレンは前田を圧倒する可能性もあるけど、
ビビアーノに秒殺されるかもしれない。そんな感じだ、今は。
カラムの試合は、彼のグラップリング云々の以前に、ウィッキーが倒され過ぎだと思う。
ケージフォースの星野戦の敗北から、何を感じ、どこが変わったのか、
それが確認できなかったのが、残念だ。
打撃系ファイターは、倒れずに、フットワークを使う必要がある。
そして、蹴りを使う必要性、組技のなかでのムエタイ・クリンチの重要性も
日々高まってきている。
対戦相手の距離をコントロールできると、勝利に一歩近づく。
倒れれば、即、立つ――、倒され際にはギロチンを狙う。
MMAで勝つ前提として、自分は上記のことをベースにしている。
北米のMMAで勝つロジックだろうと言われれば、それまで。
そうだから。
日本には、MMAではない総合格闘技の文化があるという指摘もあるだろう。
その日本の総合を見る限り、
分かりやすくてエキサイティングな試合が、
好勝負のヒエラルキーの頂点にあり――、
その最も難しい部分をファイターに要求し、観客もそれを求めているように思える。
これまでも最高に難しいことを、日本の総合格闘技はファイターに要求してきた。
その過程で、K-1は首相撲の限定や、ヒジを廃して、その世界観を確立したが、
総合はルールでなく、精神的な部分で、ファイターの自主性をもって、
終局的な真剣勝負をファイターに要求してきた。
いばらの道を進んできた結果――のフェザー級GPの微妙な評価にたどり着く。
距離の奪い合いが、エキサイティングになれば。
立とうとする、寝かせる、この攻防をエキサイティングに感じることができれば、
フェザー級GPは、退屈しない。
たとえHDDに残してあとでチェックしないとしても、
ライブで見るには不満の残る大会でなかったはずだ。
自分たちができないことを――、
リング上でファイターたちは命を削っていることを前提に考えれば、
総合は面白いか、面白くないかという二極化した評価で論じられないはず。
そうでなく――分かりやすく、面白い。
総合がそうあるべき――という視点にそって大会が行われるのであれば、
勝つために必要な技術よりも、
判定基準は面白いか、面白くないか――となるべきではないだろうか?
プロモーターが面白さ、イベントが面白さを求めているにも関わらず、
裁定基準は、ダメージやアグレッシブネス、
つまり勝利へ近づく手だてとしているから、審判やジャッジの磁場も乱れてしまう。
時に勝つための動きはエキサイティングになり、面白くあるかもしれないが、
その正反対になることだって、往々にして起こりうる。
自動車レースなら、自分たちは抜きつ抜かれつが面白いが、
ドライバーとしては、ポールポジションから圧倒的な独走での
勝利を望んでいるに違いない。
そうならないから、抜きつ抜かれつが生まれる。
強いていえばDREAMでは勝利ポイントよりも、
抜きつ抜かれつのパッシングポイントが重要なら、
その旨をレギュレーションに謳うべきだ。
それがないから、
同じラバーガードの攻防が主だった二つの試合の判定結果が別モノになり、
その根拠が見ている者に伝わらない。
前田はパウンドもしたし、テイクダウンもした。
だから、勝てた。
よって、テイクダウンはできなかったし、
パウンドで致命傷を負わすことができなかった山本の負けは納得がいって然り。
これを逆の立場から見てみると――、
ミラーはパウンドされ、テイクダウンされたから負けた。
今成は引き込み=打撃とテイクダウンの攻防を避け、ガードワークに徹した。
致命傷にはなっていないが、コツコツとパウンドを落とされていた。
アレレ――だ。
前田の立場でみれば今成は勝利だが、ミラー側から見れば、彼は敗れてしまう。
極論(かつ意味のないこと)をいえば、UFCでは今成は判定負けだった。
ただし、DREAMでは判定勝ちとなった。
自分のMMA感でいえば、選手が己の得意分野で戦い、
グラウンドで相手を制したのだから、ガードをとっていても彼の勝ちだ。
ただし、ミカ・ミラーは打撃戦に少し挑み、テイクダウンを奪われ、
不完全なハイガードを凌がれたので、敗北という結果からは逃れられない。
自分のなかでは、
古くはUFCのイーブス・エドワーズとエルミス・フランカ戦はエルミスの勝ちだし、
一度目のBJ・ペンとGSPの対戦もガードでGSPの動きを抑えたBJの勝ちだ。
そこに『UFCなら』、『ネヴァダ州ルールなら』、あるいは『アメリカなら』という条件がつけば、自分の価値観とは違う判定決着にも納得ができる。
問題はDREAMには、この『~~なら』という部分、軸がないこと。
かつて、とある総合の大会では打撃偏重のジャッジがいれば、
打撃主体で戦うという戦略が存在していた。
そのジャッジは、野球でいえば一度ボールといえば、ずっとボールといい続ける――、
そういう一貫性があった。
あるいは、あるジムに明らかに厳しい裁定をするジャッジがいた。
だから、そのジムの所属選手は判定になりそうなら、
徹底的に対戦相手を痛めつけようとした――、結果、一本勝ちにつながったり、
明白な判定勝負になった。
それは今のように技術的な進歩が見られる以前の話だ。
ただ、今でも、ジャッジAは上をとれば、ポイントをくれる――、
ジャッジBはカットされた者に厳しい――という基準を、
選手たちが持っていても何らおかしくない。
それがDREAMにはない。
基本はトップを奪えば、勝ちという傾向にあるジャッジもいるが、
その試合展開部分で、面白さと強さの関係が、非常に曖昧なので、
判定にも方向性や一貫性が見られない。
勝つために戦っているファイターが、テイクダウンを狙い、組みつき、
片足を掴んでいる最中にブレイクを命じられるなんて、ありえない。
グラウンドでトップにいながら、膠着誘発でイエローを取られた選手が、
再開後、得意のスタンドに戻れるなんて、考えられない。
ヘトヘトになって戦った格闘家たちを、
面白いか、面白くないか――で評価するのであれば、
選手たちは道場でどんな練習をすればいいのだろうか。
マラソン・ランナーは、世界記録を狙えないレースでも、
その必死に走る姿で、見ている人たちに感動を与えることができる。
独走状態になっても、つまらないなんて声は評価に影響しない。
自分にとっては、格闘家は、マラソンランナーと同じで、
勝とうと戦う姿勢だけで、
人々に多大な影響を与えることができる存在だ。
プロやアマ、テレビの有無なんて関係ない。
世界のトップレベルは、その戦う様で、世を納得させることができる。
川尻の強さは、武田幸三戦でなく、
ブスカペやブラックマンバと戦った試合で十分に、世に伝えることができたはず。
マラソンのように、伝え方をメディアが理解していない。
もちろん、陸上競技にはMMAにはない社会基盤があるのだろう。
だからこそ、ソレ(社会基盤)を持たないMMA界で、
社会基盤を築けるTVを持つイベントに、勝利への基準、
あるいは彼らが求める面白い試合の基準となる軸が見えないのは、厳しい。
格闘技として、自分の理想とする大前提を横に置いてみても、
その面白い試合作りという部分で、DREAMが一貫性ある政策を持っているのか、疑問が残る。
選手を選択し、ファイトマネーと対戦相手が決定、
あとは「面白い試合を」という指示が出て、
面白いかかどうかは選手のパフォーマンス次第となっていないだろうか?
大元をいえば、DREAMにとって、何か面白い試合なのか。
どういう試合が面白く、
その次にどのような展開が評価され、そして面白くない試合の基準が存在しているのか。
仮に一本を狙って、観客に分かりやすい技術を持ったモノが勝つ――、
あるいは負けてもファイトマネーが高いという軸があれば、
選手はそこに合わせることができる。
合わせられないなら、背を向けることができる。
勝利して、歓声を浴びたい。日常では手にできない達成感を味わいたい。
日頃から支えてくれる人たちに恩返しをしたい――と思っている選手が多いなかで、
この軸のないプロモーションが、フェザー級GPをさいたまで開き、
世の中に訴えるものがない――という声を生み、
結果、戦っている選手に責任の所在が移管されてしまうのは、あまりにも無責任だ。
体重がハッキリせず、対戦カードの発表が遅れに遅れる状況が続く体質を
選手が批判することができない、
そのような公の機関を持てないのであれば、
その役割を果たすのが、マスコミだと自分は思っている。
DREAMは、これから世間を振り向かせる仕掛けをしてくれるらしいが、
それは社会的にみて、嘲笑の対象にならないことだろうか。
注目も必要だが、世間から理解を得て、尊敬を受けることも重要になってくる。
今も日本のトップファイターの多くにとって、地上波TV放送を持つDREAMは夢の舞台だ。
DREAMに、夢を託している。人生を賭けている――者がいる。
その結果、メインイベンターが、ラバーガードを仕掛けられている方の
腕をいつまでもマットにつけ続けるという、技術レベルの試合になってしまう。
本当にもう、そろそろ、強さが軸にこないと、日本の選手は本当に弱くなる。
日本人が勝てる階級として、最も望みの高いウェイトクラスの試合で見られた、
グラップリングに関する技術不足は、深刻だ。
それが、自分のDREAMファザー級GPの一番の印象になる。
というのも――、あくまでも自分のMMA感が前提にきている結論。
面白い試合や、見栄えのあるテクニックを全面に押し出すなら、
(選手がそこで食べていけるのなら)そういう総合格闘技の存在を否定する気もない。
だからこそ、軸をハッキリと示してほしい。
DREAMで判定基準とイベント運営方針に一本の軸が見られれば、
選手も戦いやすいし、マスコミも報じやすい――と思う。
最後にデイブ・ガードナーだが、話が長くなると思うので、次回以降に触れたい。
格闘家として×かもしれないけど、人間的◎。理解できる。
大物じゃないし、メインでもない、アンダードッグだった彼だからこそ、
自分はなぜか、馬鹿負けしつつも、凄く肯定的とだけ、この場で記しておきたい。
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