米国から帰国して、2日経った。
夜に眠くなり、朝、早く目覚めることは、普通は時差ボケとは呼ばないのだろうけど、
夜型人間になってはや14年、小学生の娘のような時間帯での生活は、
フリーライターという職業には向いていないことを改めて実感させられている。
海外とのやりとりだけでなく、同業の人間から、かなり大切な連絡が入っても、
それに気付かず、彼らが眠り始めた早朝に目が覚めて、こちらから返答する。
自分のメールが、彼らの目に入るのは、昼過ぎになるという悪循環。
健康的な生活帯は、非常に多くのタイムラグを作ってしまう。
同時に米国型の食事になれた胃袋は、どうしようもなく膨張しきっていて、
昼夜問わずして、腹が減り続け、正比例するように腹回りも膨らむ一方だ。
そんな恥ずかしいほど、大きくなった腹を眺めつつ、
ちょっと、今回の米国取材を振り返りたい――。
実質12日間の滞在で、取材したMMAイベントは4つ、
フィットネス・エキスポで行われていた
柔術トーナメントを少しだけ見かじりもした。
訪れたジムの数は、MMAクラスだけでなく、ボクシング、キック、レスリング、柔術、
グラップリングなど多岐にわたり、11だった。
今――を見てきた、つもりだ。
プロ・クラスが中心だったが、
一般クラスやプロ志望の練習生の様子も可能な限り、見るようにした。
そこで感じられたのが、前回のコラムで記した“熱”という部分だったが、
この“熱”は何も、ジムやファイターの間のものだけでなく、
各イベントを訪れると、その運営陣や周囲の記者からも、もの凄く感じられる。
勢いがある。
自分たちの仕事が、楽しくてしょうがない。
ハードワークも苦にならない――そんな、やる気に彼らは満ち溢れている。
これが――、所詮、格闘技――という意識がところどころで感じられる
日本のビッグ・イベントのメディアルームとの大きな違い。
きっと、3年ぐらい前まで、日本のメディアルームも、
今の北米のような雰囲気だったんだと思う。
と同時に、あの人たち(北米のメディア)は、人気が上がった
一つのスポーツ・エンターテインメントとしか、
MMAを捉えていないということも分かった。
例えば、エリオ・グレイシーが亡くなったことをについて、何も感じないし、
その存在すら知らないような者も圧倒的に多いように見受けられた。
GSPは、エリオの死を知り、驚き、感謝の言葉を口にした。
ベンケイの目は潤んでいた。
ジョー・シルバは、深いため息をついた。
ただ、この自分の質問を聞いていた、あちらのメディアの人間は、
あからさまに『なにを聞いているの?』ってな、表情を浮かべていた。
ビジネスになるから食いつく人々を否定していては、この業界に未来はない。
けど、そういう人々が格闘技本来の部分にシンパシーを抱いてくれないと、
格闘技界の未来に悪影響を及ぼす。
GSPに対し、
「アイスホッケーの一流プレイヤーと格闘したら、どうなる?」
なんて、平気で尋ねるカナダ人記者がいる。
イベント後の会見では、次はどこで大会を?
誰と誰が戦う?
今はどんな気持ち? これからは、誰と戦いたい?
そんな質問しか、聞かれない。
技術が全てとは、自分は決して思わない。
技術や攻防に眼をやる必要がなくても、
エキサイティングだから、
MMAや総合格闘技は、一般層に受け入れられたことも理解している。
多くの人が、プロ野球の守備位置の変化や、
サッカーのディフェンスラインを気にせずに、ゲーム自体を楽しむことができるように。
だからこそ、MMAや総合格闘技はビジネスとして成立した。
ただ、野球やサッカーには、人に見せる部分以外、
成り立ちという部分で、しっかりとグラスルーツから目に見えない部分で、
組織だっている。
それがMMAでいうところの、今回、自分が目にしてきた
各ジムで汗を流す人々の熱の部分だ。
そんな人々が身につけてきた、
攻防に目をやらなければ、全てを結果論で物事を論じることになってしまう。
だからこそ、ビジネスとしての結果論が常に必要となったズッファ――、
彼らが採る、
コア層からカジュアル・ピープルをターゲットとしたUFCのスーパーファイト構想は、
ちょっと今後のMMAの発展に、暗い影を射し込むような気がしてならない。
BJ・ペンが、ほぼ何もできずにGSPに敗れた。
GSPは卓越したMMAファイターだ。
BJもまた、天才と断言できる。
天才だからこそ、一階級上の王者を倒すことができるのではないか――、
そういう幻想を抱いてしまった。
結果、なぜ格闘技には体重別のウェイトクラスが必要なのか、
その事実に改めて気付かされた次第だ。
それだけのスーパーファイトだった――。
自分が恐れているのは、この試合で敗れたBJの価値を、ファンが落としてしまうこと。
BJはGSPに対して、何もできなかった。
だからといって、
彼がショーン・シャークやジョー・スティーブンソンを圧倒した事実は色褪せないはず。
その事実まで、湾曲した視線でとらえることがあってはいけない。
それは、今後のライト級戦線を見る上でも、決してあってはならないことだ。
と同時に、GSPがBJを圧倒したことで、×チアゴ・ピッチブル・アウベスや
×ジェイク・シールズ、あるいは×アンソニー・ジョンソンというマッチアップでなく、
アンデウソン・シウバ戦ばかりが熱望される事態だけは、避けたい。
階級を超えたスーパーファイト待望論は、
日常の階級内の厳しい争いを色褪せさせてしまう――、
ような現象を生みだしてしまうと、UFCは自分の首を自分で絞めることになる。
仮にMMAの階級差が、2・5キロぐらいなら、階級を超えたファイトもありだろう
(チャンピオンの乱立なんて、本来は避けるべきで、ここではあくまでも体重差に焦点を当てた例え――として)。
今のように10パウンドから15パウンド、だいたい5kgから8kgという
大きなウェイトハンディで戦い、
仮に小さい者が勝利すれば、今後、
MMAは何をファンに見せていけばいいというのか。
それこそ、ファイターたちは
パスガードや、フェイントでなく、
宙返りや、ダンスをオクタゴンのなかで披露しないといけなくなってしまうだろう。
ダナ・ホワイトが、ビッグビジネスを目指す軸に
階級差を超えたスーパーファイトを用いるのであれば、UFC人気は先細りになる。
彼らがなすべきことは、
BJ×ケン・フロ、GSP×ピッチブル、
アンデウソン×ターレス・レイチをスーパーファイトにすること。
フォレスト・グリフィン×ラシャド・エヴァンズが、そうであったように、
階級内での最高峰の対決をスーパーファイトとする。
WECが完全に軽量級に特化したことで、ダブルブランドによる
メガ・ファイト構想は、米国MMA界からは消え去った。
UFCが他のタイトルホルダーを認めていないことは、
スティーブ・キャントウェルがベルトを巻かずにオクタゴンに登場し、
元WEC世界ライトヘビー級王者として登場したことで明らかだ。
ダン・ヘンダーソンも、PRIDEダブルクラウンとして出場したが、
タイトル統一戦ではなく、彼がUFC王座に挑む、挑戦者でしかなかった。
そのうえ、彼が持つベルトはミドル級とライトヘビー級というように言い表されていた。
ダン・ミラーは、IFL世界王者という風に紹介されたことがあるだろうか?
UFCはズッファ的世界観を一般大衆に植え付けている。
TUF優勝者が、他のどのMMA王者よりも価値がある。
TUFのコーチは、次期挑戦者だ。
シーズン1や、シーズン4、そしてシーズン5、シーズン8の出演者が
スポットライトを浴びたり、特別なポジションを与えられることは問題ない。
ただし、シーズン3やシーズン7のファイターが、どんなものだったか。
ズッファも分かっているはずだ。
そして、米国のMMAファンの心の内にPRIDEがあり、IFLがあり、
BODOG、エリートXCがあることを知っているはずだ。
修斗があり、パンクラスがあり、ケージフォース、DEEPがあることを分かっている。
知名度と実力の隔たり、
結果論重視の大軍行進路線――、
他の国の歴史と文化を破壊する絨毯爆撃路線、、、、、
彼らのやりかたは、いつか、綻びが大きくなり、
自らをがんじがらめにしてしまう、そんな恐れを内包している。
結果論で語るメディア、
プロモーションに同調するマスコミが彼らを、
過ちを見過ごして問題ない体質にしてしまう。
それは、日本の格闘技界が既に経験してきたことだ。
GSPは反則負けになるか、BJ・ペンとの一戦はノーコンテストになるべきだ。
ワセリンを塗ったという事実があるなら、反則負けかノーコンテスト。
ワセリンを塗ったという見解を、コミッションが持つなら、そうなって然り。
自分は、これだけ北米や日本の一般マスコミのあり方に批判的でありながら、
情けない限りだが、
GSPのセコンドがワセリンを塗るような行為をしていたことを見落としていた。
コミッションのインスペクターを務める知人がおり、その12年来の仲にある彼と、
大会終了後にディナーを共にしたときに聞かされた。
彼がいうには、1Rと2Rの間に、その行為は行われた。
そして、この試合のインスペクターは、その事実に気付かなかった。
控え室のモニターでこの試合を眺めていた、その知人が
急ぎ、オクタゴンサイドのその行為を連絡し、
2Rと3Rのインターバルの間に、GSPの体に付着した物質は拭きとられた。
その知人がいうには――、裁定が覆ることがないと思うが、
今後、コミッションの監視体制を強化する材料にはなるだろう――ということだ。
GSPの上半身、特に首回りに塗りこまれた物質が、ワセリンかどうか、
自分が知る限りにおいて、現時点は言明されていない。
ただし、拭きとる必要があったことはまぎれもない事実。
どれだけ疲れ始めていたBJのハイガードが、この付着物質に効果を左右されたか、
分からない。でも、左右された可能性があるのは確か。
ならば、GSPはそれなりの罰則を受けるべきだ。
UFC94はこの不況のなかで、大成功を収めたかもしれない。
ただし、それは未来につながる成功かどうか、
格闘技が本来もつ、格闘技らしさを伴う未来に通じるのか。
スーパーファイト路線とワセリン疑惑――。
ビジネスと格闘技――。
業界の党首となったからこそ、ズッファの舵取りは厳しい基準を設けて、眺めるべき。
大目にみては、ならない。
カリフォルニアとネヴァダで回った11のジム。
そこで汗を流す、若者たち。
自分が住む、この国で、今から10年少しぐらい前に、
彼らが持つ熱気に非常によく似た雰囲気があったことを覚えている。
今を否定するものではないが、自分たちの手で、この業界の流れを生みだすという
熱気にあふれていた当時を忘れることはできない。
そこで汗を流していた彼らが、その後、どのような道を歩み、
どれだけの葛藤を抱えて、人生を歩んできたのか。
自分は、少なくとも、一般マスコミよりも、知っているつもりだ。
そして、自分よりも知っている業界人がいる――、ことも知っている。
同時に、その事実に多くの人間が目を瞑り、自らの利害関係を第一にしていることも。
自分が信じる格闘技としての正義が、
他の人々の正義になるとは思っていない。
だが、自分は自分の信じる道を歩むしかない――、、、
ヌルヌルの数だけ、格闘技界は枯渇していく。
荒れ果てていく――。
けれども、そんな格闘技界にも、ちょっとウェットな、感傷的になるくらいの
人間同士の付き合いがあることも、自分は知っている。
そんな人間関係に、自分は支えられ続けてきた。
だからこそ、このままではいけないと思っていることには、
立ち向かっていく必要がある。
記者としてできること、人間としてできること。
何をすべきか――は、見えてきている。
ただし、実現に向かうには、今しばらく時が必要だ。
そのためにも、ちょっと出過ぎた腹を引っ込める必要があるかな――と、今、強く思う。
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