【Fight&Lifeコラム】Respect, history & tradition and development,,,,,,, custom/高島学

【Fight&Life vol.09】

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先週末、足立区の東京武道館で、ブラジリアン柔術のアジア大会
通称アジアチコが行われた。

 

2年前のアジアチコでは、自分はADCC北米予選を見に行っていたので、
今回がアジアチコ初体験。宍戸君の試合を見たのは何年ぶりだろうか?

 

トニー・バックマンというフィンランド人の柔術家が参加していた。
彼とはトゥルク、マルメ、ストックホルム、リスボン、サンパウロ、リオデジャネイロ、
LAで会い。今回、東京で会うことができた。

 

大会を盛り上げたマイク・ファウラーとは、前記の北欧を除いた4つの都市に加え、
ニュージャージーで会ったことがある。

 

試合場には10日前にカリフォルニアの田舎町で、
MMAを戦った中山巧――もいた。

 

そのタクミに西海岸への扉を開いた、我らが恩人Kさんも紫帯で出場していた。
ここに某堀内勇さんがいて、茶帯シニア1に出場していてくればなぁ――なんて、
少し涙腺が緩みそうになった。

 

改めて、国際大会なんだ――という実感がわいた、彼ら非・東京者との再会だった。
そう、これはBJJFJの公式戦でなく、IBJJFの公式戦。


日本のブラジリアン柔術、10年の歴史で最多参加者を集めた大会は、
連盟の努力が報われた大会だと言える。
カーロス・グレイシーJr率いるIBJJFが定めた骨子に沿って、
連盟運営を続けてきたBJJFJに関わる全ての人たちの尽力なくして、
八面マット、オーバー1200試合は実現しなかった。

 

とにかく、連盟の年若な執行部のみんなには、
格闘技界に関わる人間の一人として、
「おめでとう」と「御苦労さま」という言葉を僭越ながら、述べさせてもらいたい。

 

いやぁ、それにしても傍で見ていても大変なそうな、
気の休まる機会がない――、大会執行部の2日間だった。

 

試合開始時間の遅れ、開場の遅れ、そして進行の遅れ、
アカデミー登録や、個人登録をし、参加料を支払い大会に参加している柔術家にとっては
それは、山ほど言いたいことがあるトーナメントだったことも確かだろう。

 

そして、そのことを誰よりも理解しているのが、
中井さんや早川くん、ハマジーニョらをはじめとする大会運営陣だったに違いない。

 

2年に一度、アジア一を決める大会だ。
渡航費を払わずして、世界の強豪と戦える機会――(今回は直前の米国、世界の経済危機が起こったため、ずいぶんと北米からの参加が取りやめられてしまったのが残念だが)だが、連盟では敢えて黒帯の数人に参加を取りやめレフェリーに専念してもらうように
協力を要請していた。

 

少しでも日本の柔術の質の良さを大御所IBJJFの面々に確認してもらうがために、
要請された側も、
『戦いたい気持ちを抑え』、エンドレスに続くレフェリングに専念した。

 

日本の柔術の大会では、レフェリーは基本、5試合で交代。
それを国際連盟の審判部の代表であるアルバロ・マンスール御大は、
「1時間」と自らのやり方を貫いた。
本来なら、もっと多くのレフェリーが控えていたが、
御大の一言で、ひとつのマットに陣取るレフェリーが制限され、
手持ち無沙汰でチェアマン席に座る者――と、
1時間交代制を無視し、技量があるからという理由で、2時間も3時間も
レフェリーを続ける者、対照的な姿があちこちで見られた。

 

選手の呼び出しも、日本の大会のように簡単にはいかない。
英語、ポルトガル語を擁して、彼らは必至で大会進行を少しでもスムーズなものになるよう奉仕しつづけた。
教え子や友人、あるいは配偶者の試合さえ見ることなく、呼び出しに専念する者もいた。
奥方が、出産を控える身で、いつ呼び出されるか、
携帯をマナーモードにし、ポケットにしたためたままレフェリングを続ける者もいた。

 

本格的には98年に歴史が始まった日本の柔術の歴史。
自分は最初に国内で見た大会の様子が、自分の求める格闘技の風景にそぐわなかったため、
国内の柔術には背を向けていたことがある。

 

2000年、中井祐樹の試合が見たくて、ブラジルへ初めてムンヂアルを見に行った。
そこで見た青帯を巻いた、現・執行部のみんなの若々しい姿と、
一点の曇りもない情熱を見たことを――、昨日のことのように思い出す。

 

そんな彼らが、妻帯者となり、子供を設けようかという月日を経て、
先週末に汗を流し続けていた。

 

ヘトヘトになっている彼らに対し、アルバロ御大は
「運営陣に休憩などいらない」と言い放った。
このアルバロ御大、別に嫌な奴でも、とんちんかんな奴でもなんでもない。
いつだって会えば笑顔でハグしてくるし、柔術の発展を心から願っている。
そして、日本の柔術家よりも、長い間、柔術と過ごしてきた自負がある。

 

でも、日本の体育館内では飲食は禁止で、
ブラジルやロス、リスボンと違い、チェアマン席でピザをパクつくことは
許されないことを考慮してくれない。

 

ポルトガル語が分かる、つまりブラジル人気質が分かるということで、
通訳やら、何やらで、バッハジャパン総本部の滝川くんは、
ずっと日本とブラジル側の板挟み、大会が無事終わったMVPは
間違いなく、滝川くんだ。

 

「日本のやり方をもう少し理解してくれれば、もっとスムーズな大会進行になる」
「ほんと、もうやってられない。反乱起こしたい」なんて言葉を内に秘めることができたのは、ブラジリアン柔術への尊敬心と、
彼らの歴史と伝統を重んじているから。

 

そして、柔術の国内での普及を願ってやまないから。

 

柔術では6歳だろうが、15歳だろうが、40歳だろうが、60歳だろうが、
その気になれば、試合が準備されている。

 

技量と経験、体重と年齢に分かれたクラスがある。
そして、世界一の場を極める場所もある。

 

日頃、少ない鍛錬しかしていない者には、少ない成果が享受され、
多大なる努力をしている者には、それなりの結果が与えられる。

 

そして、まだまだ世に理解されないというジレンマを抱えている。

 

商売になるかもしれないけど、現時点ではビジネスになるという風でもない。
生きていけるが、裕福になれるかどうかは、まだ分からない。

 

裕福かどうかは知らないけど、
大会終了後にカリーニョスを中心に据え、記念写真を撮った時の
運営陣の面々と、
日本の柔術に多大なる貢献をした表彰された若さんの顔を見てほしい――。
(期せずして、前列にはブラジリアンと日本人が何の申し合わせもなく、
隣合わせになっている。ちょっと、ここでも涙腺が緩む――。
大会終了後、すぐに会場をあとにしないといけない滝川くんがそこにいないのが、
なんとも残念)

 

裕福かどうかなんて、知らない。
でも、彼らの顔は幸福そのものだ。

 

大会途中、カリーニョスとマーシオ・ファイトーザに話を聞いた時、
彼らは口をそろえて、
「柔術を伝えることで、最も大切なことは技じゃない。
どのように伝えることができるか、カリキュラムを作ることだ」と言っていた。

 

これって、大会運営もそうだろう。
彼らの歴史と伝統は尊敬してやまない。
そして、何よりも日本国内の普及を願っている。

 

だけども、ブラジルと日本には風習の違い、文化の違いがある。

 

ブラジリアン柔術が世界に広まるには、世界の慣習、文化を尊重してほしい。
それが、自分も尊敬してやまない柔術の伝道者たる――、
IBJJFの御歴歴へのお願いだ。

 

アジア大会には、豪州、フィリピン、香港、韓国などからの参加者があり、
ピュアブレッド・グアム/ロイド・アーヴィンがアカデミー部門で3位に輝いた。

 

「恥じるべき結果」と唇を噛む者がいた。
柔術の世界的な普及は、競合国を増やすことを意味する。
人口を増やす、食べられる者を増やす、
結果、強い柔術家が生まれてくるのか――。
柔術の強さとは、コンペティションでの強さだけではないはず。
だから、柔術はここまで広まった。
だけど、その達成感を図る物差しは、コンペティションに拠るものも多い。

 

大会が終わったばかりだというのに、彼らは、もうそんなことを考えていた――。
柔術の将来、柔術家たちの未来を考えていた。

 

そんな彼らには、「おめでとう」や「御苦労さま」ではなく、
本当に伝えたい言葉がある。
記者として、文字にしてはならないと、この生活を始めた年に教わった教訓。
その禁を破る――。

 

本当にありがとう。

 

いつまでたっても、人間白帯の自分だが、
こんな彼らと巡り合えて、幸せ者だと心の底から想っている。



【 2008年12月06日 09:53 】

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