【Fight&Lifeコラム】New Year Eve/高島学

1226takashima.jpg






「僕の試合は本物を見せられる数少ないカード、リアルで現実の格闘技のカードだと思う。

大晦日ということでテレビで試合を見るファンも大事だとは思いますが、

僕は会場に来てくれるファンを大事にしたい」



 



大晦日でエディ・アルバレスと戦う、青木真也の言葉だ。

青木自身、少し前には日本の総合を守るという意識、

周囲の流れから、体重差のあるマッチメイクを所望していたが、

どちらかというと、格闘家・青木真也としては、この冒頭の言葉のほうが

本音に近いように感じる。



 



と同時に、出場選手がこういう風に言ってしまう格闘技大会って、

なんなんだろう――と。



 



日本の格闘技界存続のために、大晦日で勢いをつける――のか、

これが最後の打ち上げ花火になるということなのか――。



 



自分らも含めた業界の人間は

厳しい現実を前にしようが、この「会場に来てくれるファンを大切する」という

青木の言葉に学ぶべきものがあると思う。







 

自分が格闘技雑誌で仕事を始めたころ――、
格闘技はTVの電波に乗るなんて機会はほとんどなかった。
K-1ぐらいだ。
だから、格闘技会場に来るファンは格闘技ファンだった。

 

それがPRIDE人気により、プロレスファンの一部や、
格闘技にもプロレスにも興味のなかった人々が、格闘技好きになってくれた。
そして、PRIDEが活動を停止し、潮が引くように格闘技ファンが少なくなった。

 

自分らの過ちは、PRIDEファン=格闘技ファンと捉えたこと。
格闘技ファン=PRIDEファンという構図はなりたつが、
それはPRIDEファン=格闘技ファンということではない。
にも関わらず、業界全体がPRIDE頼りになっていた。

 

そして、PRIDE以前から格闘技ファン、
PRIDEがなくても格闘技が好きだと言ってくれる人の希望に
応えることがない、(専門誌という意味でなく)メディアになっていた。

 

今、メディアは格闘技ファンの希望にこたえなければならない。
PRIDEファンから、総合ファンとなり、北米も視野に入れるファン。
立ち技のファン。
国内で興業を打つ、プロモーションのファン。
格闘技で汗を流す競技者、愛好家。

 

これらの人々の信頼を得る、メディアでなければならない――と思う。
あるいは、それらの人々とともに歩むメディアでなければならないと思う。

 

そう想うからこそ、本当はもうこういうこととかに言及をしたくなかったけど、
大晦日のカードはたいがいにしてほしい――といわざるを得ない。

 

そこで命の危険がある格闘技が行われる。
この事実に、どのマッチアップにも差はない。
だが、命を落とす、負傷をする可能性のある格闘技だからこそ、
戦うことに対して、意味合いが必要になってくる。

 

その意味合いが、格闘技の今後につながるものであってほしい――と願うばかりだが、
実際のところは、明らかにそうでない試合が目立つ――、青木の言葉と同様に。

 

戦う人間は、戦って生きていく。
大晦日で戦うことで、その向こうにある理想を持っているから戦う。
あるいはノーと言えない状況だから戦う。
そういう選手が、このマッチメイクの中に存在しないなんて誰も言えないはずだ。

 

なぜ、日々、精進している選手を
格闘技をビジネスにする、テレビ中継を維持するための生贄にしたかのような
カードがこれだけ並ぶのか。

 

大晦日の格闘技は、格闘技人気復活の足がかりとしようとしているのか、
格闘技ブームの最後の残りカスに群がろうとしているのか。

 

明日――を感じるファイト――、
大晦日以外でも格闘技を見に来てくれる人々が、喜ぶカードを
もう少し用意できなかったのか……。

 

谷川さんやFEGの人々が、そのような意思を持っていて、なお、
それが実現しなかったのであれば、
本当に大晦日の格闘技TVイベントの必要性が問われるものであり、
自分なんかは、大晦日のTV格闘技ショーは必要ないと思う人間だ。

 

ただ、大晦日に格闘技イベントがあることで、
格闘技を始めるきっかけになったことも確か――、
その反面、格闘技ってこういうものなんだ――と思った人が数多くいたことも間違いない。

 

戦闘用マスクって、何よ?
しかも、対戦相手はボブ・サップって。
子供ダマシにもならない、稚拙なカードとアイデア。
大人の事情じゃ、済まされないほど、
格闘技界に開いた傷口が大きいって、本当にまだ分かっていないのかな?

 

バダ・ハリに対する――最大のペナルティってのもそう。
反則犯した人間が、規則にないからって、大晦日に出場できる。
世間は格闘技を誤解してしまう。

 

子供が状況を理解していて、『なんで?』なんて尋ねられると、
胸を張って理由を説明できないでしょ?

 

子供に胸を張って説明できないことは多い世の中だけど――、
やはりそうはなりたくない――という気持ちは大切にすべきだ。

 

大晦日に格闘技があった期間に――、
実際に格闘技を習うようになった人々も多いはず。
そして、汗を流すことが大好きになり、
子供だましや大人の事情がうざくなり、その部分と真っ向から戦えない専門誌を読まず、大会を見に行くこともなくなった――なんて人もいるだろう。

 

格闘技が、社会の一つとして成立するには、
見る格闘技、やる格闘技の融合が必要になってくると、自分は思う。

 

汗を流し、試合を見て、専門誌を読む。ネットをチェックする。
ネットに書き込む。

 

やる側とか、見る側の境界線が有耶無耶になる。
そんな格闘技界の構築が、必要不可欠で、
メディアが、そんな格闘技界の成立にどのように役立てるのか。

 

必要とされるメディアとは、何なのか。
自分らは、もっともっと真剣に考える時期が来ている――と思う。

 

というわけで、その答は簡単に見つかるものではないが、
そういう気持ちを常に持つ続けていきたいと思う。

 

そして、2009年も格闘技と関わってくれるすべての人にとって、
その2009年が良き1年になることを、心から願っています。

【 2008年12月26日 17:42 】

トラックバック

この記事のトラックバックURL :

http://www.fnlweb.com/mtv33/mt-tb.cgi/3655

この記事へのトラックバック

コメント




ログイン情報を記憶しますか?

(スタイル用のHTMLタグが使えます)