【Fight&Lifeコラム】Recent Topix in Fighting World 02/高島学

【Fight&Life vol.09】

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K-1は、KO必至の競技体系、もしくは格闘技イベントとして完成した。
競技運営や視聴率という部分でなく、
格闘大綱というような表現が許されるのであれば、その大綱がしっかり存在する。
骨子、アウトラインとでもいうべきものが。
K-1の大綱って何か。
KO決着と、分かりやすい攻防を望むということだと思う。


ダウンを喫した選手が、2Pしか減点されないのが、問題のもと。
と前回のコラムで、書かせてもらった。


魔裟斗と佐藤の試合後、記者などメディア関係者が多く口にした
「K-1だから」というセリフ。
そう「K-1だから」こそ、
「このポイント差ではいけない」と。

 



TV中継で追いやすく、一見さんもリング上の攻防に引き込むことができる。
3分×3R、首相撲を排し、ヒジ打ちを禁止とした。
対象はカジュアル・ピープル。だけど格闘技ファンの支持も高い。


スペクタクルな攻防になりそうにない要素を極力省いたなかで、
最高の技術の攻防が見られる。


格闘技好きもカジュアル・ファンも、概ね満足できるイベント。
観やすさ、理解のしやすさ、確かな攻防でこれだけの人気を得ることができた。
そんな数少ない格闘技イベントが、K-1 MAXだ。


ブアカーオから蹴りが消えても、
JWPの姿が大会自体から見えなくなっても
「顔がMAX向きじゃない」なんてファイターが出現しようが、
そこでは、非常に満足度の高い試合が見られる。
そして、ドラマチックなクライマックス、プロセスが見られる。
なぜか――、魔裟斗が引っ張ってきたからだ。


先のWORLD MAX決勝戦でも、
思わず解説の谷川さんが「ローでいいです」と言ってしまうような展開なのに
パンチで勝負をかける。
判定が論議の対象となろうが、魔裟斗が論議の対象になることはない。
それだけのものを魔裟斗はリング上で見せてきた。


敗者となったキシェンコや佐藤嘉洋の試合後のコメントを聞く限り、
K-1 MAXが何たるかを、彼らは理解していると思う。


理解できているのに、実践できない。
誰もがリングの上に魔裟斗になれるわけがない。
つまり、魔裟斗以外にK-1 MAXを体現できる者はいないというのが自分の考え。


魔裟斗のように戦ってほしいと周囲の人間が勝手な期待をしてもしょうがない。
魔裟斗のようになりなさいって、規約を作っても、守れるものではない。


魔裟斗の精神性まで、K-1 MAXのアウトラインとして明文化し、
出場選手にレギュレーションとして提出しても、
第二の魔裟斗が現われるものじゃない。


それでも、エキサイティング、ドラマチックなK-1 MAX未来永劫に続くには――。
KO必至の在り方、KOの意味合いをポイント上で明らかにして、
明らかに利があることを規約とすればいいじゃないかって思う。


手数が多いアドバンテージと、
ダウンを奪った選手が得るポイントが1P差だから、
見ている者が混乱するし、ジャッジも判定が難しい。


たった3Rの戦いだ。
ダウンを奪った者は
ボーリングのストライクやスペアのように、スコア面で大幅に有利にすればいい。


そうでないと、最も分かりやすい攻防を見せているのに、
ダメージや戦術など、観客に伝わりにくい部分で、第三者に勝敗を委ねることになる。
そして大会後に、ルールディレクターの説明や、
プロモーターが「判定は全くおかしくない」というような、
全面的な肯定意見をわざわざ会見で口にする必要が出てくる。


3Rしかなくて、「審判の目はまちまち、見た角度にもよるから3人ジャッジがいる」というぐらいでは、K-1のポイントは付け込むところだらけになる。


ボディを効かせようが、ローでダメージを蓄積させようが、
一つのダウンとは明確な差を与える。


だからといって、選手の攻防が大きく変わることはないはずだ。
パンチ力が弱い選手、一発で倒せない選手は、
時間をかけて、相手を崩していくしかない。
ディフェンスを磨くしかない。


試合内容が変わらず、ジャッジが明確になれば、それでいいと思う。


ただし、このダウンの差が明確になる弊害は、勝敗の行方が今より明らかになる部分。
今回から始まったようにポイントの途中経過が、毎ラウンド明らかになるということは、
それだけポイントで大きな違いが、見ている者、戦っている選手に伝わるということ。


ここで勝っている選手がKO目指して勝つのか。
距離を使って流すのか。
判定勝ちを狙うのは、K-1の定義からそれるかもしれないが、
(そもそもK-1は、勝利の方程式だけ提示して、正解例は出していない)
結局のところ、KO決着が絶対というのは、ファンの願い、周囲の期待であって、
ファイターにとっては希望でしかないはず。


だから勝っている選手が守りに入っていいはずだし、
負けている選手さえ諦めなければ、
どんなドラマが待っているか誰にも分からないことも今のリング上と何ら変わりない。


反対に、『最後まで攻めること』を明文化するのであれば、
守りに入った場合は、手数で勝った選手が得ることができるのと同じだけポイントだけ減点し、それが観客、セコンド、戦っている本人にも、
理解できるようにイエローで提示する必要がある。


でも、そんなことになると――、
見ている者に全てが提示される戦いなんて、先が読めてしまう。
味気ない――。
そう、必至とされるKO劇は、そこだけを見れば、味気ない。とても味気ないものだ。


倒す、倒されるは、あくまでも結果論。
倒すつもりで戦う、倒されまいと歯を食いしばる。
そういう選手の頑張り、攻防が見られれば、
別にKO決着が絶対でなくても、格闘技は面白い。


それは魔裟斗の2試合を見れば明白だ。


KO必至の勝負であれば、そこに近付いた攻撃のポイント比重を大きくする。
それが一番分かり良いし、
分かりやすさを最も大切にしてきたのが、K-1なのだから、そうすべき。
ただし、試合内容はそれほど変化なく、
KO勝ちの数も変わらないはず。
それでも、KO勝ちの難しさが世に伝わり、
安易なKO信奉もなくなるのでは――(って、これはファンよりメディアの間でも)。


KO決着がドラマチックでエキサイティングなのでなく、
KOを目指す、倒そうとする戦いがドラマチックでエキサイティングな試合になる。


そうなったときに、K-1 MAXとそのファンは、
KOでなくても、勝てばいいという選手に対して、はっきりとその是非を問えばいい。
KOという結果でなく、プロセスを理解するまえに、KOを狙わない選手を否定するのもおかしな話だ。


そうすればスター選手が強い――のでなく、
強い選手がスターになる格闘技が、生まれるのではないかと思う。



【関連リンク】

【Fight&Lifeコラム】Recent Topix in Fighting World/高島学

【 2008年10月21日 19:17 】

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