凄く昔のことだが、ターザン山本さんが
週刊プロレスのなかで、「プロレスについて考えることは喜びである」というようなタイトルのコラムを持たれていた。
プロレスについて考えることは、プロレス・ファンなら凄く楽しいだろう。
格闘技だってそうだ。考えることは、面白い。
ただし、多分にプロレスで楽しめる興行論――を格闘技に持ち込むと、
これは非常に“しんどい”ことだと、今、改めて思う。
自分は純粋に○○と××が戦えば、どうだろう?
△△と◆◆の試合なら、こんな攻防になるのか――なんて考えることが楽しい。
例えば、総合格闘技なら、
ジェイク・シールズとカーロス・コンディットが戦えば?
エディ・アルバレスとロジャー・フエルタが戦うと?
KJ・ヌーンとクリス・ホロデッキーの打撃戦はどうなる?
石田光洋と光岡映二が戦えば、どんなレスリングの攻防が見られるのか、
リングとケージでは、テイクダウンの攻防にどんな違いがあるだろう?
宇野薫の復帰戦の相手は? ナム・ファンなら面白くないか?
マモルとランバーがヒジ有りで戦えば?
なんて、考えることは楽しく、喜びを感じる。
でも、これらの試合がどれだけ楽しみでも、
興行論=どれだけチケットを買ったファンが楽しめるのか、
TVの前の視聴者が退屈しないのか、
という視点を持ってくると、もう楽しめない。
期待のカードが、必ずしも好勝負になると限らないし、
スッキリ、エキサイティング、結果でストレス発散とはいかないからだ。
だから、興行を考えるのは難しいし、楽しくない。
で、喜びとはならない。
戦極とDREAM、二つのビッグショーが終わった。
自分は海外に行っていたので、戦極はライブでは視ていない。
DREAMは、メディアルームでレフェリーのインカムから流れている肉声をバックに
モニターを視た。
観客席の空気を直接、感じたわけではない。
そのうえでいうと、やっぱり興行は難しいということ。
自分にとってミノワマンの勝利より、石田や川尻、ブスカペの勝利の方が価値がある。
石田や川尻が、あれだけ動き続けることができるのは、なぜなんだろう?
彼らは普段、どんなトレーニングをし、どんな食事を摂っているのか、気になる。
宮田は、どうして最後はひっくり返されてしまったのか?
つきとめたい。
観客席は、ミノワマンやミルコの勝利に爆発する。
石田はGPというトーナメントを戦っている。だから、敗北は許されない。
だからこそ、クローズドガードを取り続けるチョン・ブギョンを相手に
テイクダウンを狙い続けたのだと思う。
格闘技的には、正解。けちのつけようがない。
これが格闘技界の将来が掛かっている大会、
TBSのプライム・タイム中継という観点からいうと、
テイクダウンしても、膠着するのだから、テイクダウン狙い以外の攻防が必要。
こう結論付けられる可能性がある。
後楽園ホールや下北に戻り、アルバイトをしながら格闘技をやるなら話は別だが、
格闘技をやって食っていく、さいたまアリーナで試合をする、
地上波、全国中継のTVプログラムのなかで戦うには、この論理は否定できない。
そういう総合格闘技界を、日本は育んでしまったのだから。
KO勝ちするために必要な攻防、
一本勝ちするために必要な技術よりも、
KO勝ちと一本勝ちを大切にしてきた。
選手のコンディショニング作りよりも、煽り映像が話題になる。
そういう総合格闘技というジャンルの恩恵を得るには、
スーパーマンのように強くなるしかない。
試合中にスーパーマンになりたい過程を見せていては、切り捨てられてしまう。
もしくは興行論に乗っ取った試合で、目立つか。
それには、何かを諦める必要がある。
PRIDE武士道に夢を見て、PRIDEの再現を願った
70kg、83kgのプロ格闘家には、厳し過ぎる現実だ。
石田の試合と、永田の試合は同列には並べられない。
それが自分の考えだが、
DREAMという大会では、同じ「膠着」という言葉で片付けられてしまうかもしれない。
興行論は、結果論で語られる。
技術論、ヒューマニズムはプレビューになるが、興行論はレビューでしかない。
それが格闘技だと、自分は思っている。
石田のテイクダウンの妙と、チョン・ブギョンの腕十字。
シュートボクセを離れたジダ、EXCとの契約下にあったアルバレス。
そんな観点から、プレビューは創ることができるし、考えることは楽しい。
楽しいから、その楽しさを伝えたいと思う。
負けてもブラックマンバは、良かった。倒れない、バランスがいい。
川尻はパスを狙い、マウントを奪ったから良かった。
石田の特色を出すには、立ちレスリングを見せ、その上で総合格闘家としての
幅を見せることができるであろう永田との試合の方が面白かったかも。
これ、すべては結果論。
ちなみに技術論、ヒューマニズムは結果論になるし、レビューにもなる。
ジダとアルバレス、警戒しあって打ち合いにならなかったら?
ヨアキムが朴からテイクダウンを奪えず、流れるような寝技を見せることできなければ?
ウマハノフのパンチが、開始直後に永田にヒットしていれば?
JZの肘うちで、青木の腕が痺れなかったら?
すべてあり得た。
でも、今回はそういう風にならなかった。
どれだけ楽しみなカードを並べようが、期待の大きさだけ落胆もついてくる。
逆に期待しないカードから、期待以上の成果が得られることもある。
興行は難しい。
興行論は、不毛だ。
結果論に頼ると、結局は賭けになる。
PRIDEとHERO'Sの合体、あるいは融合は、
今回は大きなエネルギーを会場で発することはできなかった。
これも結果論。
大会前には、エネルギーを放出しまくっていたからこそ、こう感じる。
結果的に戦極の方が、DREAMより面白かった――という声も聞かれる。
興行とは結果論。
では。試合前のワクワク度はどちらが上だったのか?
格闘技が持つ本来の楽しさは、
テクニック的にみようが、人間物語としてみようが、このワクワク度の高さに比例する。
ただし、このワクワク度を測るバロメーターの大小すべてが、結果論に劣る。
そういう伝え方ばかり、自分たちはしてきたのだと思う。
ある意味、興行は結果が全て(試合結果ではない)かもしれないが、
格闘技の楽しさは、結果が全てではないはず。
だからこそ、試合前に感じるワクワク度、その楽しさが浸透すれば――。
ワクワク度を掘り下げる、そして、広める。
楽な作業ではないし、志半ばでコト切れるかも知れない。
道半ばで挫折する可能性も十分にある。
それでも、専門誌を創る人間として、
この掘り下げる作業を、これから丹念に、時間を掛けて
練り上げていく、必要があるに違いないと思っている。
それが、格闘技ファンの喜びとなる――はず。
そんな作業を怠ってきたつけが、
結果論に左右される格闘技界を創りあげてしまったのだから。
【 2008年03月17日 10:44 】
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