2008年、1月1日。午前6時50分頃、伊豆高原、城ヶ崎海岸。
ペンション「ワンマイル・クルーズ」から見た初日の出は、それはそれは見事だった。
無神(仏?)論者の自分が、まさに御来光と呼ぶにふさわしい尊さを感じてしまい
思わず手を合わせてしまうほど。
初日の出を伊豆で見る。
それは、自分が社会人失格だったからこそ、可能になった出来事。
仕事、ビジネスよりプライベート、家族を優先する。
笑顔で、この事実を見逃してくれる仕事仲間も、
内心、決して快く思っていないことも想像がつく。
昨年の大晦日、自分は京セラ・ドームに居たが、最終試合を待たずして
最終の「のぞみ」に乗るために、会場を後にした。
家族と正月を伊豆で過ごすため――だ。
そのまま2日から6日まで、生まれ故郷の神戸で過ごし、ほとんどの人が仕事初めを
終えている7日に東京に戻ってきた。
この間、格闘技界とのつながりは一切なし、だからこそ、今も
2007年の最後の試合で見たシーンが、しっかり記憶のなかに留まっている。
格闘技がスポーツ新聞に掲載されるようになり、
ネット媒体で日々、更新されるようになると、1週間というスパンは、
以前とは比較にならないほど、ロングタームで捉えられるようになっている。
つまり、もう、(専門誌以外の)マスコミの間では、大晦日の話題は過去のものになっているといっても過言でない。
その点、自分は1週間、プライベート空間に身をおき、
(携帯ですらバッテリーが上がると、そのままの状態にしていたぐらいだし)
凄く新鮮なまま、あの最後の光景が目に焼きついている。
加えていうと、東京に戻ってから映像を確認した秋山×三崎のフィニッシュの光景も、
真空パックさながら新鮮なままだ。
このまま、この二つの試合を過去のものとして
流してしまってはいけない――という想いも。
何度も、何度も、それこそバカみたく繰り返して言うが、
自分は、格闘技が格闘技として確立しないなら、むりやりビジネスベースに乗らなくても
良いと想っている。
一部の富裕層のために、多くの格闘技好きがバカを見る世の中なんて、
クソ食らえだと――想っている。
もちろん、その一部の富裕層を目指し、格闘技界が活気付くのは大歓迎だ。
でも、もう見逃せないぐらい、格闘技を侮辱しているシーンを見るのも、疲れた。
そのシーンとは、当然、
KIDがグランド状態のハニ・ヤヒーラに蹴りを見舞ったシーンだし、
三崎が勝利を決定づけた秋山の顔面へのキックのことを指す。
正確には、二人のその行為ではない。
格闘技には、反則行為はつきものだし、
審判というタフな仕事が、いつも正しい裁定を下すことができないことも
百も承知している。
だからこそ格闘技にはルール、レギュレーションが存在し、
個々の組織のモラルを感じることができる。
大晦日、新しい年を迎える20分ほど前に、
偶然、KIDと品川駅で顔を合わすことができた。
KIDは「最後の蹴りは覚えてないんです」、
「パンチが効いたんじゃなくて、目に入って、ずっとハニが二重に見えていて、
もう夢中になっていた」と話してくれた。
『でも、反則負けになったかもしれない』という自分の言葉にも、
「そうですね、気をつけないと」とKIDは言った。
夢中だった。だから、攻撃を続けた。
この行為を肯定できないが――、否定もできない。
これは格闘技には起こりうる問題で、
自分のなかでは、KIDの試合は、一旦ストップをかけ、
スタンドからやり直す。
そして、彼には試合中にイエローが提示されるべきだった。
自分のなかの格闘技とは、そういうものだ。
だから――、
問題はKIDの行為そのものでなく、その行為に対し、
どのように裁定を下ったのか、という点になってくる。
このシーンを見た人間が、一人ひとり、どう思ったのか――。
DYNAMITE!!や、やれんのかには、競技実行部が存在し、
そこにはルール、そしてレギュレーションが存在する。
で、大晦日の京セラ・ドームでは、
試合直後に、審判部の代表がマイクを握り
「蹴りの前にパンチで決着がついていた」と発言したことで、問題なし――
という裁定が下った。
もっとも、自分はこの話は昨夜、確認したばかりで、現場では見ていない。
自分が目にした光景は、KIDの放ったパンチで崩れ落ちたハニ――、
グランド状態の彼にKIDが蹴りを二発放ち(顔面には当たっていなかった)、
それを観たレフェリーが試合をストップした。
そして、この光景を目にした中継ブースは息を呑んだように一瞬、言葉を失い、
暫くたってから、谷川さんが「パンチで決着がついたあとなので、問題なし」というようなことを言ったように記憶している。
自分も一応、解説という仕事をしていることもあり、
言葉に窮した場面で、とんでもないことを口にした過去を持つ。
正直、そういうときこそ進行役の実況の方に上手くリードしてよ――
という気持ちがあるが、
その窮した場面では、正直な言葉しか口をついて出ないと理解している。
谷川さんは、プロモーションの人間だ。
穏便に問題なく、年末の最大のイベントを終えたい――
そういう想いが口をついて出たのだと思う。
解説者という立場で、そのような言葉が咄嗟に出てしまうことを、
自分は肯定する。
そこまで、とやかく言える立場にもない。
テレビはテレビのルールがあり、そこで問題視されていないのだから。
ただし、
格闘技として、FEGがそのまま「終わりよければすべて良し」という
立場を取るのであれば、それはそれで、自分は口を挟ませてもらう。
パンチで決着がついているのであれば、
なぜレフェリーは、パンチが入った直後に試合をストップしなかったのか?
蹴りが放たれてから、試合を止めたのか。
前述したように、自分は2008年の最初の6日間、格闘技と離れていた。
だから、どのように記者発表があり、レフェリーに処罰があったのか、
まだコトの顛末を知らない。
なら、文句をつけるな――という指摘も正しいけど、
だからこそ、真っ白な自分の意見をここでぶつけることができる。
KIDの蹴りが問題にならなかった――、ならレフェリーの処置には問題が残るはずだ。
一方の秋山×三崎の一戦。
会場はPRIDEの聖地ともいうべき、さいたまアリーナ。
そして、ヌルヌル秋山とPRIDEウェルター級GP勝者の戦い、
三崎の勝利を後押しする空気が会場にあったことは誰もが認めるしかないだろう。
この試合で思うのは――、
寝技での蹴りが認められないなかで、あの蹴りが出たが、
どの試合であろうと、起こって然りだったということ。
PRIDEで戦ってきたファイターは、勢いのまま、
練習で身についた動きが出ても致し方ない。
ファイターは人間、人間は完璧じゃない。
で、そのグラウンドの定義が、
両手両足がキャンバスについている状態なのか、
両足と同時にそれ以外の箇所がキャンバスについている状態を指す――など、
問題視されているようだけど(これも、聞きかじりの情報です)、
そもそも、ルールという以前に安全面を考えると、
ガードポジションを取った状態でない選手が、
グラウンド状態か否かという判断すること自体が非常に難しい判断だと思う。
もし、一方のファイターが四点ポジションにあり、
その対戦相手が放った蹴りが、顔面に飛んでくると認識できた場合、
自分は反則勝ちになるから、顔を守らないでそのまま蹴りを顔面に受けるなんて
到底できない。
絶対に顔を守ろうと、間に合わないと知っていても、
顔を守ろうと手で覆うよう努力するだろうし、背中をむけようとするに違いない。
で、両足以外がついていないから、この蹴り技が有効というなら、
これはもう格闘技は、暴力と捉えられても致し方ないだろう。
KID×ヤヒーラ戦でも同じ、
試合の決着がついたあとだから、問題視しない――なんてまかり通れば、
もう格闘技なんて、暴力と変わりなくなってしまう。
もっと大切なことは、この問題が話題になったかどうか。
少なくとも秋山×三崎戦は、ファンの間で話題になっている。
KID×ハニ戦はどうなのだろうか?
足早に会場を後にした自分は、地下鉄に向かう階段で
10歳にも満たないだろう男の子が
「KIDは強いなぁ」と頬を紅潮させていたことが忘れられない。
やれんのか、とDYNAMITE!!。
その視聴者のターゲットが、その後の反応になっているのだろうか。
もし、そうであれば、DYNAMITE!!は勝者だ。
何か、リング上で問題が起これば、それは大人の世界、
力の持つ者が望む結果、結論に行き着くことはままある。
それが世の中だし、
自分の意見は、空気が読めない人間の戯言だと理解している。
ただし、世の中の空気が、格闘技界を巡る空気が、
間違っているなら、
自分は空気が読めない発言を繰り返させてもらうことになる。
ホント、格闘技は危険が伴うもの――と承知しつつ、
子供たちにも、格闘技は素晴らしいから、練習に励めと
胸を張って言える業界にならない限り、
格闘技に未来はない――と、年末年始を通して感じた次第だ。
選手が完璧でないなら、
主催者も完璧でないし、
もちろん、自分のような人間が完璧だとも思っていない。
だからこそ、安全面という一つの視点においてぐらいは、
選手、主催者、マスコミは真摯な姿勢を持ち続けないといけないはず。
2007年8月25日に行われたUFC74で、
レナート・ババルはデヴィッド・ヒースに
アナコンダ・チョークを極めてタップを奪った後も、技を解かなかった。
このことが原因で、勝利者賞金2万5千ドルをコミッションから没収され、
ほぼ確定していたズッファとの契約更新が果たされなかった。
ミスから何を学ぶか。
ミスをどのように次へのステップにつなげるのか。
臭いモノに蓋をしていると、世の中がどうなるか。
日常生活のなかで、
自分の胸に手を当てても、なかなか答が出ない。
みな、生き残りに必死だから。
だからこそ、この一年の区切りとなるこの時期に、
自分の知人が、かけがえの無い肉親が、
ルールでは反則、または反則と取られかねない行為がまかり通る業界で
命を削って戦っている――と、自分の胸に聞いてみませんか?
格闘技をどうしたいのか、皆の想いが一つであると、
自分は信じたいし、信じていたい。
【 2008年01月09日 10:04 】
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