文=高島学
text & photograph by Manabu Takashima
カール・ゴッチが亡くなったと聞いた。
きっと、色んなところで追悼の句が告げられていることだろう――と思う。
今から13年前に、実はゴッチに会ったことがある。
UFCが始まった翌年、「南極以外の大陸で、日の出と夕焼けを見たい」なんていう、どうしようもない理由をつけて、務めていた会社を辞した。
もちろん、とってつけた理由だ。
上司は、嫌悪感に満ちた目で、
「一体、どうするつもりだ!」という言葉を発した。
心のなかで、
「あんたみたいにだけは、なりたくないんだ!」と
言ったつもりだったけど、
実は声になって口から洩れていたそうだ。
本当の理由も、どうしようもないものだ。
ただ単に「このまま、死にたくない」。
「もっと、自分の足で歩いて、自分の目で色んなものを見て、耳で聞きて、皮膚感覚で知りたい」と思ったから。
当時も今も、格闘技と車のレース好きに変わりはない。
あとは歴史的建造物と、路面電車や高速鉄道、
地元の人が食べる食事と、飲むお酒。
それらに触れるために、10ヵ月ほど日本を離れた。
で、今も取材で海外に行っても、胸躍る対象は同じまま。
(ガキの頃から、40を迎えようかという中年になっても、
好きなものが変わらないのは、
一体どうしたもんだと自分でも思う)
26歳の僕にとって、U系は格闘技に入っていた。
恐ろしいもので、一生に一度の思い出と勢い込んで
行なった放浪の旅のことも、もう断片でしか覚えていない。
タンパに入ったのは、どこからだろうか?
きっと、ルイジアナかニューヨークだ。
アムトラックの駅で、レンタカー屋の兄ちゃんに迎えに来てもらったのは覚えているけど、タンパの前にどこにいて、タンパのあとにどこへ向かったのかも覚えていない。
なぜ、自分はあの街で、
今は亡きラリー・マレンコさんに会えたのだろうか。
マレンコ道場では、U系ではなくロープに跳ぶ練習を
していたことを覚えている。
あと、ラリーさんがドーナッツを美味しそうに頬張っていたことも。
カール・グレコに会ったのは、きっと道場で――だ。
ゲームセンターで25セント硬貨の代わりに
10円玉を入れていたこと、
いっしょにテリヤキ・チキンを食べたことを覚えている。
で、そのカールに大よその場所を聞いて、
ゴッチの家に向かった。
カールは「僕は好きなんだけど、父親がさぁ、嫌がって」と言って、一緒に来ることはなかった。
「ゴッチは、ヒールを仕掛けて、タップしてから、もう一度捻るんだ」なんて、クチを尖らしていた。
目印は湖とオレンジの木。
そう、週プロに載っていた。
あとは、確かストリートは分からなくても、
何千番台かのアドレスも。
!
訪ねた先は、いたるところ湖とオレンジの木だらけだった。
2時間ぐらい車でグルグル、
街を徘徊したような気がする。
「庭から湖が見え、オレンジの木がある家」なんて、
ガス・ステーションで尋ね、呆れられてしまった。
K ISTAZ GOTCHと書かれた
表札が掛かった門を発見したとき、
何を思ったかは覚えていない。
家の周りをウロウロしていると、
ゴッチの隣人が
「あの偏屈な爺さんのところには、なぜ、こんなに日本人が訪れてくるんだ?」と不思議そうに語っていた。
これは滅茶苦茶覚えている。
しばらくして、犬の散歩に出ようとしたゴッチが、
家から出てきた。
この時、マレンコ道場でプロレス修業中だった
日本の男の子二人も一緒だったのだが、
ゴッチは、
こちらの身元も確かめることなく自宅に招き入れてくれた。
居間には、当時、病魔に侵されていた奥方がおり、
大画面テレビでドイツ語の映画を見ていた。
この辺りのことも、ハッキリ覚えている。
そして、ダイニング・テーブルに僕らを案内してくれた
ゴッチは、マレンコ道場で修業を行なう二人に
「なぜ、日本の環境の方が厳しく、正しいのに
わざわざ米国に来る必要がある」と厳しい口調で詰問した。
船木と鈴木を褒めちぎっていた。
あと木戸の名前が出てきたような気がする。
一番覚えているのは、
日本人、その次がロシア人、アメリカ人はダメだなんて
口調が全般を占めていた。
ゴッチが、何を話してくれたか、お叱りを受けそうだが、
あまり覚えていない。
きっと、自分のその後の人生が、プロレスから
大きく離れていったからだと思う。
確か「グレイシーはチョークばかりで、あまり技がない」
というようなことも言っていた。
今から思っても、自分の思い通りに生きた人だったからこそ――の台詞だと思う。
上に書いたように、プロレスと係わり合いのある人生なら
もっと、神様のことを覚えていたと思う。
でも、そうじゃない。
嘘偽りなく、あの日のことはほとんど覚えていない。
それが、自分が選択した人生でもある。
大和魂という文字が見られたガレージで、
ゴッチはコシティを振ってくれた。
いたく感動した。
僕らが驚嘆の声を上げると、少し嬉しそうだった。
奥方の薬の時間というところで、
僕らはゴッチ宅を引き上げた。
レンタカーの操作に戸惑っている間に、
犬の散歩に出かけるゴッチの姿が見られた。
そう、神様は見知らぬ訪問者のために、
犬の散歩を遅らせてくれていたのだ。
「だから、日本人は偏屈なお爺ちゃんのところを
訪ねるんだよ」
隣人にそう言ってやりたくなったことを、
おぼろげに覚えている。
僕はゴッチのサインをもらっていた。
これは、ホント、10数年ぶりぐらいに
放浪の思い出というべき、
ガラクタっぽい宝物が詰まった箱を漁って、
その現物を見るまで、忘れていたサインだ。
アルファベットだけでなく、
カタカナでカール・ゴッチと書き記されていた。
合掌。
ゴッチさんがいなければ、
UWFがなかったのであれば(それは、僕の口からは、
例え想像の範囲であっても、断定するようなことはできない。自分でなくプロレスの記者の人たちのフィールドだ)、
僕の人生の一部は、ゴッチさんに与えられたものでもある。
総合格闘技はUWFの影響がないなんて、誰一人として
言えないから。
だからといって、それを部外者の僕が弔いの言葉として、
発するのは、また筋が違うと思う。
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