【特集】中井祐樹 パラエストラ論<出稽古論>

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ブラジリアン柔術の中井、修斗の中井、
テクニックの中井、日本格闘技界の中井。
その存在感の大きさから、業界全体を受け皿にした問答しかしてこなかった。
もう、何年も……。パラエストラは、中井祐樹の城だ。
中井祐樹の格闘技感は、彼の考えるパラエストラ論の中にある。

Fight&Life vol.01』 で行なったインタビューに引き続き、
Webでは、その続編をお届けします。まずは、『出稽古論』からどうぞ。


取材・文=高島学
撮影=矢吹建夫



――強くなるには、どう頭を下げて出稽古に行けるのか…、
つまり強くなるには出稽古も必要だということですね。

実際、出稽古できるネットワークを最初に構築したのは
パラエストラだと思いますし(笑)。
これだけ、色んなところで練習できる、
手を取り合って強くなれるという。


――それも中井祐樹だったからこそ、
可能だったのではないですか。

そうかもしれないですね。

――中井祐樹が、「練習させてください」って道場を訪ねて、
「ダメです」って言えないじゃないですか。

まぁ、そうかもしれないですけど。
今、昼グラップリングの動きとか、
都内各所で、毎日のようにあるじゃないですか。
で、1週間回ると体外の人間と練習できる。
柔術もそうですよね、いくつかのチームがあって。
渡りあるコトができれば、
物凄いメンバーと凄い練習ができる。
だんだんと、そういう風になってきたと思います。
昼間にプロの練習をこなして、夜は自分も練習しながら、
一般の会員さんに指導するという。
試合で生活ができる人は指導する必要はないと思うのですが、
それほどいるわけでもない。どちらにしても、
僕はプロも指導するべきだと思っているんです。
プロは指導できないと、プロでないという風にも思っているくらいです。


――では、中井さんはレッスン・プロ肯定という
立場をとられているわけですね。

そうですね。
『レッスン・プロなんて、プロじゃねぇよ』
という発言を耳にしたこともありますが、
僕は『レッスン・プロこそプロだ』という反論を持っていたんです。
やはり自分の生き方を人に伝えることができる。
直接、伝えることができるということは、
格闘技の楽しさ、厳しさ、体を鍛えることの
尊さを教えることができるのは、
道場だという信念を持っているからです。
試合を通して、伝えることもできると思います。
でも、道場で伝えることと比べると、
それはあまりにも限られている。

――技術的な部分でも、そうですよね。
自分も、これは読者に対する裏切り行為かもしれないのですが、
技術ページを、実際に体を動かしている人に
分かってもらえると思って作ったことなんてないですよ。
それを本気で思っている編集者やライターがいれば、
ちょっと資質を疑っちゃいます。
格闘技をやっていない人に、格闘技を見る参考にしてほしい、
ひいてはその結果、実際に体を動かすようになってほしい。
技術を本当に身につけたいなら、本で見るのじゃなくて、
道場に通えばいいからって。
本を読んで技術が身につくなんて、
そんな甘いものじゃないだろうって。

ハハハハ。
まぁ、マットの上で見せるプロの世界は憧れの対象ですよね。
だからこそ、プロのトップは良い人間であるように
努力してほしいということに尽きるんです。
法律さえ破らなければ何をしていいという意見もあるでしょうが、
色んな人から見られているということなんですよ。
そういうことも含めて、地域に直接、
根付くことができるという点でも
本当のプロなのではないでしょうか。
もちろん、プロという舞台で闘うことは、
本人にとっては凄く勉強になることではある
ということを理解した上でですね。

――恐怖、慈愛、忍耐、ストレスがある。
そういうものを抱えていて強くある。
生存競争のための強弱なら、
野生の動物社会と変わりないです。
そのプロという場ですが、
今、パラエストラが関わっているプロの舞台は総合ですよね。
そこで自分がパラエストラにパラドックスを感じているのは、
修斗のパラエストラだと、イメージ的にも制限ができないかと。

パラエストラは修斗のオフィシャル・ジムです。
ただ、僕のなかでは、開くときに
全部の競技のオフィシャル・ジムになりたいと
発言したことがあるんです。
実は今年、3月のHERO'Sに
八王子の金原(正徳)選手の出場で、
総合の全プロモーションに出場しているんです。
つまり、ニュートラルな立場に立てたわけです。

――修斗のパラエストラという印象は強いままですよね。
自分の考えでは、総合=修斗でもいいと思います。
だけども、選手を育てる道場という立場でいうならば、
そこで王者になっても格闘技で独り立ちできない。
格闘技界全体がそうであればまだしも、
そうでない選手が育ってきている時点で、
道場主として考えるとどうなのでしょうか。
中井さんが言われたように、
人生を楽しむには収入が必要なわけですし。

修斗のオフィシャル・ジムという顔があるのですが、
他の組織はオフィシャルにならなくても
出場できるという状況があるので、
このスタンスを取っています。
長らく修斗ばかりという状態だったのですが、
それが僕の望んだ絶対的な形、唯一の形ではなくて、
僕のなかではニュートラルな組織なんです、最初から。
抱え込むものが多くて、パラエストラと修斗の盛り上がりが
時期的にシンクロし、協会を置くことになった。
柔術にしてもそうです。
ですから、修斗&柔術という色が強くなりすぎて、
この二つの団体と見られるようになったことは
否定できないですし、それにカラーができたとも思っています。
個性はあってもいいと思っていますし。

――自分は、総合でいえば、修斗だけが八百長をしない、
修斗では八百長があったら公になる。
そんな時代の総合格闘技界も生きてきました。
時が流れて、修斗だけが正しいという歴史が存在したにも関わらず、
修斗という道程を通らないで育った選手が、
修斗という素晴らしい構造のなかで育った選手に
勝つことも多々、見られるようになった。
この時点で、"過去"の八百長とか、
"過去"の正しさに捉われすぎてもな、と。
間違いを犯さなくなって長い時間が経過した組織が増えた、
ならば、選手を強くするという部分では何が正しいのか。
そういうことを考える時間も多くなしました。

その通りですね、修斗の作り方でなくても、
良い選手を育てることができるのは、自分は知っていますし。
もちろん、ブラジリアン柔術というものがあるからですが。
それは理解できることです。競技云々を抜きにして、
嗜みとしてやれるところ、そしてチャレンジングなところ、
エキスパートなところがあればいいと。
実際に、競技にこだわっているということではないです。
協会、連盟というものをおいた歴史があるだけで、
いずれ分業していこうと思っています。
柳澤雅樹も、パラエストラの名前でパンクラスに出場していますし。

――嗜みとチャレンジングですか。良い言葉だと思います。

つづく


■関連リンク
[公式]パラエストラ東京

■関連記事
【コラム】日本ブラジリアン柔術連盟説明会、新人選手権/高島学(2007年5月15日)
日本の柔術はどうなる?<前編>(2007年2月24日)
日本の柔術はどうなる?<後編>(2007年2月24日)

【 2007年06月29日 17:34 】

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