2007年4月15日(日)に行なわれた
「ADCC JAPAN TRIAL 日本最終予選」。
勝ち名乗りを受けている間は、戦闘モードのままだったが
優勝トロフィーを受け取った瞬間、泣き崩れた。
かつて、試合後のアピールで、
自分を応援してくれた周囲の人間への感謝の言葉よりも、
彼を中傷した側の人間への非難の言葉を優先した植松直哉はもういない。
ひとりの選手を見続けて来たからわかる、その心の成長。
文&写真=?島学
text & photograph by Manabu Takashima
格闘技って、本当に怖いと思う。
殴られると痛いから怖い――、
絞められると苦しいから怖い、ということもある。
それよりも、自分が怖いと感じているのは、
完全な負けが存在することだ。
誰だって一対一の戦いに負けるなんて、嫌に決っている。
「○○のレポートのほうが、高島のレポートより良いなぁ」――、
なんて言われると、自分を全否定されたように思う。
ただ、そんな否定のされかたも、
所詮は人の主観という逃げ道がある。
フィギアスケートの芸術点。
スキーのジャンプの飛形点と同じようなモノだ。
だが、一対一の格闘技では、優劣がハッキリする。
負けると自分が他人より(少なくとも、その一瞬は)、
劣っていることが露になるのだ。
凄い恐怖だろう。
もちろん、そんな恐怖を感じない猛者もいる。
本当に凄い連中だ。
その一方で、気持ちが決して強くない選手も
見受けられることがある。
試合の途中で心が折れるのではない。
いつも、か細い神経をしているのに、リングに上がる、
マットに向う、ケージに入る選手がいる。
正直、気が弱いと感じる選手だ。
それなのに、恐怖を克服し、
リングやマットに上がる。
恐怖を克服するには、日々の鍛錬しかない。
その選手は、今も心に感じたことをすぐに口にする。
必要のない一言を言ってしまうことがある。
それって、回りにいるごく普通の――、
数多い人間と何ら変わりない。
自分は机の角で頭をぶつけると、「痛い」と言うし、
頭をぶつけないように用心深くなり、
危ないところには近づかない。
でも、彼は絶対に痛い思いをするのに、
試合に出場できる。
記者だから、彼のことを偉そうに記事にする――けど、
一個の人間とすれば、絶対に偉そうに批評なんてできない。
初めて会ったのは、彼が高校生だった頃だ。
ホント、どこから見ても一休さんみたい子供が、
静岡から、大宮まで練習に来ていたのを、
時おり目にした。
静岡から、月に一度ほど、やってくる柔道少年。
アマチュア修斗で、打撃はからっきしだが、
組み技では抜群の強さを見せていた。
プロ修斗デビュー前に出場したトーナメント・オブ・Jでは
決勝で、あの宇野薫をアキレス腱固めで一蹴している。
その瞬間、彼は泣き崩れた。
彼の印象は、試合場での強さだけだった自分は、
「嘘泣き」疑惑――なんて原稿を書いた。
『あの記事、評判悪いですよ』
彼が、こう言ってきたことを今も覚えている。
何だ? この生意気なガキは――。
素直に自分の気持ちを露呈すると、こう思った。
同時に、必死なんだなと感じたのも事実。
覚えている限り、コメント以外で初めて聞いた
彼の言葉じゃないだろうか。
98年9月のプロ修斗デビュー戦。
対戦相手に舌を出し、マウントを奪うと、
テレビカメラに向ってポージング。
「怖いから、あんなことするんですよ」
佐藤ルミナが言った。
続くプロ2戦目、「あぁ、怖がっている」と思えるシーンが
幾度となく見られた。
いいなぁ――と、ダメだけど凄いなと、
彼を選手としてだけでなく、
人間として面白いと思うようになった。
怖くて泣き顔、怒って泣き、悲しくて泣き、嬉しくて泣く。
何度も、そんな姿を見るようになった。
ヒザの靭帯を切った。
命に関わる大病を患った。
プロ格闘家として、波のある格闘技人生を送っている。
それでも、基本ラインとしてある気の弱さは変わらない。
ブラジルで初めてブラジリアン柔術の試合に出た時、
目に見えて動きが悪かった。
ロボットのようなぎこちなさだった。
それが、サンパウロでの彼。
開き直ったのか、吹っ切れたのか、1週間後のリオでは
ムンジアル茶帯で、日本人として初めて銀メダルに輝いた。
ただ、金メダルを獲得したのは、同じ日本人だった。
世界で一番、悔しい世界2位だと、今も思う。
「植松も黒帯」。
"も"がつく、誰かに付随する。
そんな勲章、必要ない。
ブラジル、ハワイ、ロス、色んなところで試合を見た。
マット・セラに敗れたノースカロライナ――。
中継地のシカゴ・オヘア空港が雪の使用できなくなった。
締め切りのある自分と、
アルバイトに行かないといけない植松直哉は、
当地に残って一泊するよりも、6時間ほど早く日本に着くために、
ノースカロライナ~ワシントンDC~フランクフルトと回り、成田に戻った。
ハワイ、プロ修斗ソルジャーナイト・ハワイを開いた夜、
現地でマスコミも招かれたパーティーがあった。
ルミナのセコンドで、当地を訪れていた植松は、
ちょっと酒の勢いがよかった。
同席していた某誌前(?)編集長に
「P○IDEや、K○1ばかり載せているアンタが、
何で、ここにいるんだ?
専門誌が、あんなんで、修斗の人間はどうすればいい?
よく、ここに顔が出せるな!」と噛み付いた。
ハハハ、負け犬の遠吠えみたいだった。
そんな彼をパーティーの主役で、ずっと大人のルミナが
「酔っ払いすぎだ、バカ」と叱責した。
うなだれ、俯く植松。
もう一人の酔っ払い、
今度はこいつがルミナに噛み付いた。
「あのなぁ、ルミナっ! なんで、植松がこんなに酔っ払っとうと思う?
植松はなぁ、2週間前にな、
門脇っていう強い奴と試合をしたんや。
で、勝ったんや。
ほんなら普通なぁ、そこで緊張の糸を解かへんか?
それをなぁ、お前の試合がある、
『ハワイでルミナさんが、大切な試合がある』って、
ずっとピーンと神経を張ったままで。
昨日だって、試合する本人よりずっと緊張して、ビビッて。で、お前が試合に勝ったから、ようやく、こうやって気持ちを開放することができたんやんけ!
なんやねん、バカって」
この失礼極まりない酔っ払いの言葉を、
ルミナは真っ直ぐ受け止め、「エッ」という表情とともに、涙まで浮かべた。
植松はというと――、
「何なんだ、高島さん!
あんたが、いくらルミナさんのことが好きだからって、
言って良いことと悪いことがある。
ルミナさんに、偉そうなことを言うな!
それに、アンタなんかより、
俺の方がずっとルミナさんのことが好きなんだ」
ホント、弱い犬ほどよく吠える。
で、そんな犬ほど、周囲の者はかわいく見えてしまう。
ここ一番、ここで勝てば――。
そんな一戦を落とすことが多かった植松。
基本は気が弱いところからスタートしている彼に
この1年で、ちょっと、変化の兆しが見えるようになった。
JFTでの練習、クロスポイントでの指導。
自分が認めた、本当に強い師匠=早川光由。
勝っても、負けても彼の人格を否定しない教え子たち。
そして、かけがえのない奥方を得た植松は、
弱さを認めることができるという、
強さを身につけた。
ただ、この変化は、すぐに試合結果に直結はしていない。
4月15日、ADCC日本予選。
「世界とか、本当に関係ないです。とにかく、ここで勝たないと。
いつも期待を裏切っているので」
久しぶりに試合前日から緊張していたと苦笑い。
1回戦の相手は、亀田雅史だった。
結果はバックマウントを奪ってからのチョークで一本勝ちだが、勝因はそのまえのギロチンにあった。
ADCCルールは、どれだけ攻め込んでも前半にはポイントが入らない。
序盤の豪快なテイクダウンやパスも得点には計上されない。
その一方で、ポイントが加算される後半となると、
引き込みはマイナス一点となる。
植松は、首が外れるとマイナスポイントとなるのも構わず、
ギロチンから引き込みを見せた。
すると、亀田の体重移動を読むようにスイープに成功した。
ADCCの試合では、よほど技術に自信がないと、後半部で引き込みはできない。
準決勝の小野瀬龍也戦は、アームロックで速攻の一本勝ち。
下からの仕掛けを得意とする小野瀬を相手に、
足関節を見せかけ、腕を取りにいった。
どちらの試合も、
少しでもミスがあれば
致命傷になりかねないリスキーな仕掛け。
一見して感じられたような、楽勝では決してない、
植松自身は紙一重のつもりの勝負だったに違いない。
迎えた決勝戦――。
16分の長丁場。前半から投げ、関節と積極的に動き続けた。
徹肌ィ郎は、追い込まれながらも、最後の最後で逃げる。
こうなると、攻めている方に焦りが生じるはず。
劣勢だが、勢いが出始めた徹陣営とは対照的に、
植松陣営は、
早川君も和道も、直さんも声を出さない。
何をやっているんだ? セコンドは。
気持ちで圧されているのに、なぜ黙っている。
JFTの練習仲間は、植松の力を信用していた。
心の成長も、肌を合わせているから分かっていた。
だから、声を出す必要もなかった。
残り時間30秒、
文字通り鬼神の表情で、徹を抑え込んだ植松。
勝ち名乗りを受けている間は、戦闘モードのままだったが
優勝トロフィーを受け取った瞬間、泣き崩れた。
そんな彼をJFTのメンバーが囲む。
「JFTと、クロスポイント、そして(植松が指導する)
子供たちのお陰です」と心からの感謝の言葉を発した。
かつて、試合後のアピールで、
自分を応援してくれた周囲の人間への感謝の言葉よりも、
彼を中傷した側の人間への非難の言葉を優先した植松直哉はもういない。
ただ、あそこまで、人前で泣き顔を曝け出すことができるのだから、変わっていない部分も多く残っている。
格闘技を続けてきたことで、
信じる者、信じてくれる者が生まれ、
自分を信じることができる格闘家――、人間になれた。
格闘技に関わらず、一つのことをやり続けることで
生まれた自信かもしれない。
ただ、植松にとって、その自信を与えてくれたのは、
間違いなく格闘技だ。
この日、40歳を迎えた草柳和宏が、99kg以下級に出場した。
「今日、試合に出たから、植松が勝つところが見れた」と笑顔の草さん。
パスガードで爆発する北沢タウンホール。
その爆発を生んだ、アマゾン。
UFC帰りで、時差ボケ、体力もないまま出場。
決勝で腕十字の態勢に入ったとき、
背中でセコンドの礒野さんに「どうしたらいいですか?」と尋ねていた岡見勇信。
以前、仕事関係でパリに滞在していたときに、
わざわざベルギーのブリュッセルまで出向き、
グラップリングの試合に出場していた塩田さやかが、
圧倒的な強さを見せ、女子55kg級で優勝した。
格闘技は、捨てたもんじゃない。
それから――、この場をお借りして、
徹肌ィ郎選手、徹君に謝りたい。
自分は、決勝戦のときに、写真を撮りながら、
「ビビんな」、
「弱気になるな」という声、植松に向って発していた。
こんなに素晴らしい格闘技、その格闘技を伝える人間として
あるまじき行為だ。
国内では、再びこのようなことがないことをお約束します。
海外では、正直、自信がありません。
幾重にも植松を取り囲む、人の輪。心の和。
そんなものが、自分の回りにもあったりするので――。
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