【コラム】 TKの格闘学会。そして、ルミナ/高島学

文=高島学

text by Manabu Takashima



3月11日、世界のTKこと?阪剛が主催する

TK式格闘学会を見学させていただいた。



TKがUFC68の各試合から、抜粋した攻防をビデオで流し

解説を加えてくれる。

言葉だけでなく、実際に動いて見せてくれるのだから、

こんなに分かりやすい技術説明はない。



実戦経験が豊富で、自在に言葉を操ることができる。

日本で唯一の、そして本物の総合格闘技界解説者だ。



本当に面白く、もっともっと多くの人に

TK式格闘学会に参加してほしいと思う。



「見ているだけの人でも、技術や攻防が分かった方が

 絶対に総合は面白くなる」――。

TKのこの意見に、自分は100パーセント同意する。



そして、分かったら――、体を動かしたくなる。



だから、TKの学会では

ビデオ分析のあと、実技編となり、

テレビのなかでUFCファイターが見せた技術を

出席者が、反復する。



参加者の皆さんが、試合に勝つための動きではない、それは。

一流ファイターの技術を、簡単にモノにできるわけがない。

ただ、彼らが何をしようとしたのか、それは理解できる。



総合を理解するための動き。

僕のように四十路を手前にした人間で、

試合に勝つ気力を持つ人間なんて、そうはいない。



でも、格闘技が好きで、その攻防をより知りたいという

欲を持つ人は、凄く多くに違いない。



いや、年齢に関係なく、

TKが機会を与えてくれたような、

格闘技との距離感を持ちたいファンは、

実際、多いはずだ。



いわゆる「ゆるい実践者」という層が、

厚くなることは、

今後も格闘技が発展していくうえでも欠かせない要素だ。



気軽に試合に出る。

柔術が広まったコンセプト――から、

さらに格闘技を広める鍵が、

TK式格闘学会で見られたと思う。



この学会に、

写真をほとんど撮ることもなく、

またメモも取らないで、出席させてもらったのだから、

これはもう記者という肩書きを持つ人間の役得――、

というしかないだろう。



TKに感謝するしかない。



自分が格闘技の記者という役をいただけるようになったのは

1995年1月からだ。

当時、"自分を育ててくれた"格闘技通信は、

RINGSの試合を普通に掲載していた。



が、翌年、谷川さんが編集長を辞し

(ベースボールマガジン社を退職)、

ターザンこと山本さんが編集長となった。

週プロと格通の編集長を兼ねるようになった。



「RINGSとパンクラスは、格通で掲載しない」、

突然、山本さんは宣言した。



RINGSの試合に関していうと、

プロレスの記事も書ける、

ヤスカクさんが担当することが多く、

既にUFCやK?1が存在した当時、

編集部の話題の中心になることはまずなかった。



その直後、山本さんもベースを辞めた。



しばらくして、本多さんが格通の編集長となり、

パンクラスだけ、掲載が再開された。



いやぁ、山本さんも本田さんも、

えらく気配りのできない人たちだったと、今は思う。



ただ、今だから自分も理解できるのだが、

山本さんが、選んだ理由付けは見事だった。



今も面倒な関係を時々作る、

プロレスと格闘技について、

山本さんの下した決断は、自分を凄く楽にしてくれる。



何を根拠に、格闘技とプロレスに境目をつけるか。



売り上げがずっと多い、プロレス雑誌を持つ出版社から

出される格闘技雑誌。



その境目を明白にすることによって、

実は追い込まれてしまうのは、格闘技側だったりもする。



RINGS側の格通への怒りは、当然だ。

いや、この場合は、前田日明の怒りというべきだろう。



格闘技雑誌を創ることに参加する――ことを、

生業にしようと決めた自分にとって、

本多さんの選択は×で、

山本さんの判断は◎だ。



「格闘技雑誌よりも、プロレス雑誌への露出が多いものは、

格闘技雑誌には掲載しない」



格闘技の本質や過去のできごとに

触れる必要がない線引き。

雑誌を軸に、プロレスと格闘技の区別をした山本さん。



見事だったと思う。



格通のRINGSの取材は、本多さんから朝岡さんに

編集長が代わった時、

ドンピシャのタイミングで

KoKトーナメントが開かれ、3年ぶりに復活した。



過去云々でない、今、目の前で行われているモノで

判断した試合レポートの再開だった。



前田日明が、

「なんで、格通の編集長は俺のところに挨拶に来ん!」

と怒るのも、しごく自然なことだったと思う。



格通が、RINGSを掲載していない時期にも関わらず、

ガチガチの自分が会話を持つことができたRINGS所属の唯一の選手。

それがTKだった。



97年の秋、米国、スーシティで行われた

コンテンダーズに出場したTK。

ヤスカクさんの手引きで、初めて話をしたのだが、

格闘技大会での実績、そして関西弁ということで、

自分が感じていた、

彼に対する壁はすぐに取り払われていた。



自分の不躾な質問にも、ちょっと苦笑いをしながら

明け透けなく返答してくれた。



取材対象として

決して、近しい距離にいる選手ではなかったし、

親しげに人前でタメ口を聞けるような真柄でもない。

ただ、自分にとって(TKは迷惑かもしれないけど)、

格闘家として、信頼できる人物となり、

今も彼への信頼、尊敬は変わりない。



その多才さを備に目にすると、

この気持ちは大きくなる一方だ。



TK式格闘学会から5日後の後楽園ホール。

ルミナの勝利にわく、ファン。

複雑な表情を浮かべるファンがいた。



何が問題か。

ルミナのヒザ蹴り――ではない。

若林レフェリーの判断――でも、決してない。

選手は人間、レフェリーも人間。

何か手違いがあったときに、修斗にはそこを見越した

レギュレーションが存在する。



自分が知る限りにおいて、アウグスト・フロタは

正式に修斗コミッションに提訴するだろう。



ヒザ蹴りが、反則だったと判断されれば

無効試合、いや、ヨアキム・ハンセン×川尻達也戦のように

反則負けということも考えられる。



レフェリーのスタンドというコールがない状態で、

大内敬の顔面にヒザ蹴りを放ったマリオ・スタポルも

反則負けとなっている。



だから、この件に関して、どのような結論が出ようが、

自分は、うがった見方をすることはない。



が、試合後にルミナ本人が困惑してしまったやりとり――。



あれは……。

何ていえば良いのだろうか――。

一言でいうと、悲しかった。



プロ修斗は興行だ。

修斗は競技――という本質から離れた出来事が起こるのも有りだろう。

また、

修斗は競技ということを、ギミックに使っても良いと思う。



そこにコミッションという、司法機関が存在するのだから。



ただ、プロ興行だろうが、主催者は

何が修斗の魅力か、存在意義かを考えるべきだ。

日本で唯一、総合格闘技の良心と呼べる――、

信頼感がそこにあることだけは、忘れて欲しくない。



今の修斗のリングには、

プロレスラーが、プロレスで掴んだ名声を戦績代わりにして

リングに上がることは決してない。



芸能人が、何の実績もなしにリングに上がることもない。



体重差がありすぎる、マッチメイクも存在しない。



マスクマンもいない。



タッグマッチもない。



判定がおかしければ、提訴できる。

その内容が、白日の下にさらけ出される。



5万人の観客はいないかもしれないが、

そこには絶対的な信頼感が存在していたはずだ。



ルミナは、

「反則と判断されればしょうがない。それにランク外の選手とやって、

勝って1位になるの?」と言った。



若林さんは、背中を曲げて俯いていた。



鈴木レフェリーは、

「マイクを通して、あれを言われると」と苦渋の表情を浮かべた。



北森アナは――、

何かと闘っている表情を最後まで崩さなかった。



「PRIDEやK?1なら批判されないことが、

修斗なら批判される」。

「修斗が真面目にやってきたから、批判される」



修斗は、批判される。

このことを修斗関係者は、誇りにしてほしい。

批判、それは信頼という言葉の裏返しなのだから。



■関連リンク

[公式]
A-SQUARE

[ブログ]高坂剛の今日のさかな

[ブログ]佐藤ルミナ

[公式]X-SHOOTO

【 2007年03月18日 19:55 】

トラックバック

この記事のトラックバックURL :

http://www.fnlweb.com/mtv33/mt-tb.cgi/207

この記事へのトラックバック

コメント




ログイン情報を記憶しますか?

(スタイル用のHTMLタグが使えます)