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全世界45ヵ国から192名の選手が出場し、3日間に渡って優勝を争う
極真会館主催の「第10 回オープントーナメント全世界空手道選手権大会」。
4年に一度の空手オリンピックといわれる今大会の最大の見所は、前回大会で外国人として極真史上2人目となる
世界チャンピオンの座を射止めたエヴェルトン・テイシェイラが、中村誠以来の連覇を達成できるのか、あるいは空手母国・日本が
王座を奪回するのか、それとも強国ロシアを始めとする他国が王座を奪取するのか。第9 回大会で優勝した際、
「極真空手が生んだ空手界の最高傑作」とも言われたテイシェイラは、この4 年間を「世界2 連覇」のためだけに過ごしてきたと豪語する。
そんな彼の4 年間を振り返り、テイシェイラ2 連覇の可能性を探る。
取材・文_福島知好 協力_ワールド空手
テイシェイラの先輩にあたるフランシスコ・フィリォがK─1出場を初めて発表した記者会見(1997年2月26日)の席上でこんなやり取りがあった。
「K─1を経験して次の世界大会で優勝することが私の目標です」と語ったフィリォに対し、デビュー戦の対戦者であるアンディ・フグは「それは後退だ。なぜK─1をやった後に極真に戻らねばならないのか?」と、アマチュアからプロの舞台にひょっこり出てきた後輩に皮肉とも戒めとも受け取れる発言をした。
しかし、その後はご存知のようにフィリォはK─1で“一撃旋風”を巻き起こすなど華々しい活躍をして、99年第7回世界大会で外国人初の世界チャンピオンの座に輝いた。いわば、K─1で得た様々な経験を、世界大会の3日間に集約させたと言ってもいい。ただし、テイシェイラの場合は状況が微妙に異なる。
テイシェイラは07年の第9回世界大会で優勝を決め、即座に次の目標を2011年第10回世界大会でのV2に置いた。だが、世界中の強豪が集まる世界大会でテイシェイラのライバルと呼べるような相手が誰一人として見つからないのも事実だった。わずか3ヵ月後の翌年2月、電撃的にK─1参戦を発表した。
その真意をテイシェイラはこう語った。
「緊張感を持続させたかったのです。世界チャンピオンになった今、極真のどの大会に出場しても、勝って当然という立場になりました。それは非常に名誉なことではありますが、世界大会で連覇を成し遂げるためには、自分自身をより一層追い込まなければなりません。今ここで必死になって稽古しなければ、自分が倒されるかもしれない。倒す技を身につけなければ、自分がやられるかもしれない。そんな独特な緊張感をK─1という舞台に上がることで身近に感じながら、自分を磨いていきたいと思ったのです」
現役の世界チャンピオンとして他のジャンルに挑戦することは、大きなリスクを伴う。負ければ自分がそれまで積み上げてきたもの全てを失うことになるかもしれない。
「しかしリスクから逃げてばかりでは何も生まれません。私が世界チャンピオンの栄光にしがみついて挑戦することを怠れば、それは逆に極真の王者としてとても恥ずかしいことだと思っています。守るべきは昨日の栄光よりも、大いなるチャレンジ精神であるはず。そのことを私は大山倍達総裁の生き様と、師である磯部清次師範の教えから学びました」
手塩にかけた愛弟子を異次元の世界に送り出す磯部師範は当時の心境をこう話した。
「第9回大会で優勝するまでは、稽古のプランから試合の計画から随時彼のコンディションを見ながら私がある程度決めてきました。しかし、彼はもう立派な世界チャンピオンです。ある意味、自立の時期に来ている。かつてのフィリォやグラウベ(・フェイトーザ) がそうだったように。最終目標は世界大会2連覇。そのことを肝に銘じていれば、K─1であろうが、総合であろうが彼が自分にプラスになると思えば何を志してもいいと思っていた。ただし、我々が軸足を置くのはあくまで空手の世界。そのことを忘れてはいけない」
テイシェイラは世界大会翌年4月のデビュー戦で藤本祐介にKO勝ち。6月のジャパンGPで優勝。9月には長く日本のトップ選手として活躍してきた武蔵に判定で勝利して12月のWORLD GP FINAL に出場した。一年前までは先輩グラウベを応援する観客の一人に過ぎなかったK─1最高峰の舞台だ。
だが、準々決勝でエロール・ジマーマンに判定で敗れ、この年の挑戦は幕を閉じた。
「この一年間は、経験という意味でいうと数年分にも匹敵するほど充実していました。技術的にも精神的にも成長できたと思います。ただ、結果から言えば決して満足していません。経験を積んだ来年が勝負です」と、2009年は4月にK─1を代表する選手の一人、ジェロム・レ・バンナから判定ながら勝利を収めるなど順調な滑り出しを見せた。だが、2年連続で出場したFINALの舞台は残酷だった。圧倒的なパワーで急激に台頭してきたアリスター・オーフレイムの前に1ラウンドKO負け。テイシェイラがK─1のリングでKOされたのは、後にも先にもこの一度きりであった。
世界大会を翌年に控えた2010年は12月に2年前に敗れたジマーマンに雪辱。ひとまずこれで3年間のK─1での活動に区切りをつけた。戦績は13戦10勝3KO3敗。
世界大会イヤーである2011年、テイシェイラは完全に空手モードに切り替えた。まず当面の目標を6月にNYで開催されるオールアメリカンオープンに置いたが、K─1の練習から空手の稽古にチェンジするのは容易ではなかったと磯部師範は証言する。
「3年間K─1用のトレーニングを積んで体のリズムがそれに慣れ始めているところに、また素手素足で殴り合う空手独特の稽古を再開させた。それに彼は今29歳。4年前と同じ組手では無理があるし、同じ稽古もできない。彼なりの年齢とスタイルに合った組手というものを11月までに作り上げねばならない」
磯部師範いわく「第9回世界大会で優勝したときを100%とすると、50%にも満たない」という状態で出場したオールアメリカンは、3試合目の準々決勝で日本の荒田昇毅にまさかの敗退を喫し、世界2連覇へ不安を露呈した。
ところが試合後のテイシェイラは不安どころか、自信のみなぎるコメントを残した。
「K─1での経験は、私の空手人生に間違いなくプラスになっています。ただ……
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