【誌面&Web連動企画】ナム・ファン インタビュー「ベトナム人であることの誇りを伝えていきたい」/高島学

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Fight&Life vol.06

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好評発売中のFight&Life06号、92ページより
「彼らにとってのMMA―マイノリティ・ファイターのFight&Life」というレポートが掲載されています。
そこで取り上げられた3人のファイターたち、彼らの素顔をより知ってもらおうと、
現地インタビューをここで再現します。
第一回目のナム・ファン選手。前回は、彼の格闘技歴を語ってもらいました。
今回は、その後の格闘技人生と、ベトナム人であることの大切さを語るナム・ファン選手インタビューをお届けします。


――18歳のときに、初めてMMAを経験したナム選手ですが、当時はどのような練習をしていたのですか。

ナム 当時はフランコ・デカマーゴのところでしか練習していなかったから、実は寝技しか練習していなかったんだ。
まぁ、それがバーリトゥードの練習ということだったんだけどね。


――当時のMMAは既にスタンドが主流になりつつあったころですよね。

ナム そうなんだ。でも、フランコのところではスタンドの打撃もレスリングもなかった。だからアカデミーに通っている練習生のなかにレスリングの経験者に習うようにしていたんだ。
これはレスリングに限らず、僕は空手をしていたから、知っている打撃を知識を他の練習生と分かち合っていた。
自分たちのベースを混ぜあって、MMA用の練習をしていたんだ。


――それで十分に練習になりましたか。

ナム 今から考えると、まったくなっていなかったと思う。
でも、それは今だから言えることなんだよ。
結局、フランコのところには2004年の終わりまで通っていた。
そしてAPEXに移ったんだ。
理由? フランコに追い出されたからだよ(笑)。
このスポーツでよく起こる、ファイターとマネージメントのこじれが原因でね。


――そのときにAPEXで練習するようになったというわけですね。

ナム 少ししてからね。
フランコのアカデミーを追い出された時は、僕はカレッジに通っていて、火・木・土とカレッジのあとで、友人たちと練習していた。
30人ぐらいの柔術の練習で、みんなが僕を助けてくれた。
で、月・水・金はボクシングのジムに通うようになったんだ。
でも、徐々に柔術の練習仲間が減っていって――。
そんな頃に去年、亡くなったジェレミー・ウィリアムスと出会ったんだ。
実際にはAPEXとグレイシーバッハ・アメリカの二カ所で練習していたんだけど、グレイシーバッハは、マーシオ・フェイトーザが指導したり、しなかったりっていう感じだったから、余り身が入る練習ができなかった。
だから、APEXだけで練習するようになったんだ。
それ以来、ノーギの練習しかしていないけど、実はギが懐かしいんだ。


――ナム選手は、MMAファイターに道衣の練習が必要と感じているんですか。

ナム ノー、それはないよ。
ギとノーギは別モノだ。
ギ・トレーニングがよりテクニカルにしてくれる――とブラジル人は言うけど、僕はそんなことはないと思う。
二つは別モノだ。
どうやってスパイダーガードをMMAでやれっていうんだい? 
APEXでノーギをするようになって、そう思うようになったよ。
ギとノーギはベーシックからして、違うと思う。
エディ・ブラボーがMMAファイターになるんならギを燃やせって言ったって? 
その通りだよ。
僕もむしろ、ギを着て練習することはMMAファイターには害があると思う。
ゆっくり動けるし、ホールドもイージーだ。
ノーギって、タイトでスリッピーだし。
今の僕にとって、ギはコンペティションでなく、楽しむためにある。
MMAをリタイアしたら、またギに戻るよ。
トラディショナルなものは大好きだし。
なんといっても、トラディショナルはエイジアン・マーシャルアーツの核だからね。


――最終的にはエイジアン・スピリットに還るということですか。

ナム 僕ら米国生まれのベトナム人は、米国文化のなかで成長した。
地域が地域だからベトナム人が多かったけど、僕らにはベトナム語を教えてくれる小学校はなかった。
どの人種も同じ学校で、英語で授業を受けていた。
子供の頃はベトナムのことをテレビでも見ることはできなかったし、どこに自分のルーツがあるのか、どういう風にベトナム人として歩んでいけばよいのか分からなかったんだ。


――今はベトナム人としての自我が芽生えたということですか。

ナム ある日、自分のルーツを失くことが怖くなったんだ。
そして、ベトナム語を再び学び、家族とはベトナム人らしく振舞うようにしたんだ。
僕はベトナム人社会の人に、僕の戦っている姿を見てほしい。
ベトナム人として、どのように生きるのか――、その模範になりたい。
若いベトナム人たちに、僕を見て自分たちのルーツを思い出してほしいんだ。
そして、ベトナム人であることを意識し続けてほしい。
今、米国に住む、エスニック・アメリカンは自分たちのルーツを失いつつある。
家族、友人たちがいかにオリジナルの風習を持ち続けるのか。
これは個人の問題でなく、社会の問題なんだ。
だから、僕は試合の前後にインタビューを受けるときは、いつもベトナムの文化、ベトナム人であることに誇りを持つと言い続けている。
次世代のベトナム人が、ベトナム人として生きて、ルーツを失わず、ベトナム人であることに意味があると思ってほしい。


――米国のなかでは、同じアジア系でありながら、中国人社会は、かなり独立性を持っていますが、それは特殊なことなんですね。

ナム 韓国人もそうだよ。
ベトナム人も、そうありたいとは思っているけど、決して簡単なことじゃないんだ。
米国は僕の家だ。でも、僕の国じゃない。
ここで生きていくには自分がベトナム人だと意識しないと、自分を失うことになる。
米国に愛着はある。
でも、訪ねたこともない母国を懐かしく感じるんだ。


――この米国社会でベトナム人であるため、核となるものは存在しますか。

ナム それが、難しい問題なんだ。
僕の姪なんて、ベトナム語も話せない。
ベトナム語が何かも知らないんだ。
とにかく、言葉や文化を繰り返し、語り継ぐしかないと思っている。
ベトナムの食事をし、音楽を聞く。
そうやって、意識してベトナムの文化を身につけていくことが大切だ。
食事がベトナム文化、そういう意味では、旧正月の行事が番の核となるのかもしれない。日本人が羨ましいよ。


――えっ、それはなぜですか。

ナム 日本人には柔道がある。
空手もある。
ルーツが感じさせてくれる要素が、身の回りにあるんだ。
ベトナム文化はそうじゃない。
だから僕はMMAで成功して、ベトナム人であることの誇りを伝えていきたいんだ。




ナム・ファン選手インタビュー 第1回目はこちら!!

【誌面&Web連動企画】ナム・ファン インタビュー「僕はサクラバが大好きだった」/高島学





【 2008年05月07日 19:22 】

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