【誌面&Web連動企画】ナム・ファン インタビュー「僕はサクラバが大好きだった」/高島学

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好評発売中のFight&Life06号、92ページより
「彼らにとってのMMA―マイノリティ・ファイターのFight&Life」というレポートが掲載されています。
そこで取り上げられた3人のファイターたち、彼らの素顔をより知ってもらおうと、
現地インタビューをここで再現します。

――ナム・ファン選手が格闘技を始めたのはいつごろなのでしょうか?

ナム 8歳のときにベトナム空手を始めた。
クィンダォ・ベトナムという名前だったけど、何度も名前が変わったから、今はなんて呼ばれているのかな? 
意味も分からないんだ。
僕はアメリカ生まれで、ベトナム語は分からない言葉が多いんだ。
少しだけ投げがあるトラディショナルな空手だった。
家族、いとこ、みんなが何らかの格闘技をやっていたんだよ。
カンフー・ムービーも好きだったしね。

――では空手を始めた2年後にはUFCが始まったということですね。

ナム 僕がUFCを始めて見たのは1995年だった。
兄弟がUFCのビデオを持ってきて、ホイス・グレイシーの試合を一緒に見たんだ。
すぐに夢中になったよ。
打撃の人間が打撃を使わない人間に負けていくのが、正直ショックだったよ。
それから大きな相手からどうやって身を守るのか、そんなことばかり考えるようになった。

――ベトナム空手はいつまで、やっていたのですか。

ナム 8年半かな? 16歳になるまでやっていた。
黒帯になっていたけど、高校でレスリングを始めていたし、17歳になったときに柔術のアカデミーにもかようになっていた。
レスリングや柔術を始めたのは、MMAファイターになりたいって思っていたから。
それには柔術かボクシング、レスリングをやる必要があると思っていた。
で、とりあえず打撃は空手をやっていたから、少しはできる。
ならレスリングと柔術を習わないといけないって感じていたんだ。
今は、ボクシングの重要性も理解しているけどね。
MMAファイターになるには、まず柔術だって思っていた。
ただ、2000年当時は簡単に柔術ができる環境ではなかったんだ。
僕は車も持っていなかったし、今のようにアカデミーも多くなかった。
イエローページで探して、フランコ・デカマーゴのアカデミーを見つけたんだ。
当時はグレイシー柔術がトーランスにあることも知らなかったし、
知っていたとしても、1時間も柔術アカデミーに通うために家族にドライブをしてもらえなかっただろうしね。
フランコ・デカマーゴのアカデミーでさえ、オレンジにあって片道30分もかかったんだ。最初のうちは、家族がドライブしてくれていたけど、それでも遠いからって嫌がられて。だから途中からは、高校の授業が終わってから、毎日、片道1時間かけてアカデミーに通っていたんだ。



――柔術を始めたときの、家族や友人の反応は?

ナム 特になかったよ。
家族は「ヘルシーだねっ」ってぐらいで(笑)。
友人たちも「クール」、「タフガイっ」って感じで。
UFCが有名になる前だったし、「気をつけてね」っていう雰囲気だった。

――当時、MMAでは誰のファンだったのですか。

ナム 絶対的に、サクラバだよ。
彼はグレイシーを破り続けていた。
マジックのようだった。
あんなリスキーな動きは誰もできなかったしね。
ホイス・グレイシーが偉大な王者だと思っていたけど、圧倒したし。
遊んでいるように、ホイスに勝っちゃった。
僕はショーツから何から何まで、サクラバをコピーしていたんだ。
アジア人の勝利をいつも願っているから、サクラバがホイスに勝ったときは、本当に嬉しかった。
今でもサクラバの大ファンだよ。
だから、正直なところ、今のサクラバはあまり見たくない。
うん、彼がパウンドされるところを見ると胸が痛むんだ。
泣きそうになるよ。
ルミナ・サトーもそうさ、フライングアームバー、あんな攻撃、僕には決してできない、怖くてね。
でも、もう彼がパウンドされるところは見たくない。
ルミナが、僕らのような人間が活躍できる軽量級という分野を開拓してくれた。
ゴミも好きだよ。
以前のハングリーな彼がとても好きだった。
修斗のファイターは、修斗で戦っている時は、すばしこくて、熱かった。
サクライ、カオル・ウノ。イシダもいいパウンダーだったね。
素晴らしいファイターたちが、武士道や他で戦うと動きが緩慢になっていた。
何でだろう? もっとハングリーにならなきゃ。
イージーなことだよ。
リングではハングリーにならなきゃ。
今は、最高にクールな日本人選手はユーシン・サンダー・オカミだよ。
知人に彼のコーチのメルアドを教えてもらって、なぜ、あんなに強いパウンドが打てるのか、メールしたこともあるんだ。

――凄いですね。では、日本人以外で好きなファイターはいますか。

ナム ブラジリアンではムリーロ・ブスタマンチかな。
ボクシングも上手いし、素晴らしい柔術のテクニックを試合で見せてくれる。

――では、他のエイジアンファイターでは?

ナム カン・リーだね。
バオ・クァーチも良い。


――二人ともベトナム系ファイターですね(笑)。ところで、日本の総合格闘技と呼ばれているトータルファイティングと、米国のMMAでは少し違うというのが自分の意見です。

ナム 僕もグラウンド・ワーク、柔術が大好きだよ。動き続けること。

――ナム選手のグラップリングはノンストップ・アクションですね。

ナム これでも、茶帯になったんだよ。
日本人のように動き続けないとね。
ムリーロだって、常に関節技を狙っている。
テイクダウンしてキープする試合は大嫌いなんだ。
強いことは認めるけどね。

――ディエゴ・サンチェスなど、米国のグラウンドファイターの印象は?

ナム 今、米国は柔術でもブラジルに追いつきつつあるからね。
ほとんど互角だよ。
ジェフ・グローバーやビル・クーパとは青帯のときから一緒に戦ってきた。
ビルとは6度戦っている。
ビルが15歳のときに1度勝っただけで、あとは全部負けているんだ(笑)。
ノーギとギ、どちらも戦った。
ジェフとは1度だけ戦い、スイープでやられた。

――道衣の大会も出場したことがあったのですか?

ナム 柔術では2002年にコパドムンドに出たんだ、ブルーベルトのときにね。
2003年にはムンジアルに出場した。
日本人もたくさん来ていたよ。

――ブラジルへも行っているんですか。以外でした。米国の柔術家は、ある意味、ビルとジェフに代表されるように、新しいスタイルをクリエイトしました。

ナム レスリングもできるし、アグレッシブだよね。
米国人はレスリングができるから、どんどん強くなるよ。
ノーギでは、既にブラジルを抜いたと思うよ。

――そんなナム選手が、MMAを始めたのは?

ナム 18歳になってから、2001年のときだよ。
イリーガル、地下パンクレーションマッチだった。
オープンハンドのね。
最初は怖かったし、パンチじゃなくて、オープンハンドの試合はちょうど良かったと思っている。
腕十字で勝った。その選手とは数年後に、チームメイトになったんだ。

※以下、ベトナム人ファイターとしての生き方などについては、次回へ続く。


ナム・ファン選手インタビュー 第2回目はこちら!!

【誌面&Web連動企画】ナム・ファン インタビュー「ベトナム人であることの誇りを伝えていきたい」/高島学



 

【 2008年04月30日 16:03 】

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